このページを編集する

CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

CONTACT

 2018年5月  

SunMonTueWedThuFriSat
12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031

人生はもっと自由で楽しくていい―加藤百合子さん

【第1話】3度の受験と3度の転職で見つけた世界
2018年05月03日
kato-1top.jpg

加藤様とは、彼女のご主人を介してお会いしました。その大らかなお人柄や、
実は出身高校の先輩ということがわかり、最初からとても親しみやすく、とても尊敬する女性です。
目の前のものに執着しない、自分らしさを大切にしている姿がとても心に響きます。
「人生はもっと自由で楽しくていい」全4回でお届けします。お楽しみください。

加藤百合子

株式会社エムスクエア・ラボ 代表取締役 加藤 百合子さん

HP:https://www.m2-labo.jp/about-us

-Profile-


千葉県生まれ。慶應義塾女子高校を経て、東京大学農学部1998年卒。英国 Cranfield University, Precision Farmingの分野で修士号を取得。2000年にはNASA のプロジェクトに参画し、翌年帰国。キヤノン(株)、産業用機械の開発企業に勤 務、R&Dリーダーを務めた。2009年に当社を創業。2011年日本政策投資銀行 第 一回女性ビジネスプランコンペティションにて大賞受賞 持続可能な社会を目指し、 迷いながらも、地域や社員と一緒にブレることなく進んでいきたい。専門分野は、 地域事業開発、農業ロボット、数値解析。

 

#1 3度の受験と3度の転職で見つけた世界
#2 女性だし、よそ者だけれど、それが私の最大の強みです。
#3 転機は、スーツを脱いでジーパンでタメグチで飛び込んだこと。
#4 私のHappyの根源は、自分の食べるものを自分で手に入れられたこと

加藤さんの人生の歴史を教えていただけますか? ご兄弟はいらっしゃいますか?

兄が二人います。
重松さんもそうかな?と想像しますが、私は男になりたかった派です。学校ではとにかくおてんばで、中学受験はしましたが、受験勉強したのは本当に最後の1年あったかどうかです。
そんな私なので、親も期待せず、勉強しろと言われたことは一切ありませんでした。でも兄たちが受験していたので、それをゲームっぽく感じて面白そうだと思い中学受験をしました。

お兄様たちは私立中学に行かれていたのですか?

兄たちも結局は普通に公立の中学に進んだのですよ。
みんな遊びほうけて、本気にならない家族なのです(笑)。私は都内の私立中学校に入学しましたが、1年半で辞めました。

私立の中学をですか!?それはどうしてですか?

通いたくなくなったからです。つまらなくなってしまったのです。辞めた理由は2つあって、1つはお嬢様学校で、私のようなおてんば娘には、あまりにも規制が多かったこと。2つ目は受験がきっかけで数学を好きになり、どんどん知りたくなり、授業中もちょっと進んだ別のことをやっていたら、数学の先生に「そんな生意気なことをするなら、君が教壇に立ちなさい」と叱られたことですね。それで、もう辞めてやると思いました。それが中学2年の夏です。そして地元の学校へ入りました。
お嬢様学校に通っていたために伸ばしていた髪もバッサリと切り、心機一転公立で過ごした中学時代はすごく楽しかったですね。

ご両親はよく許してくれましたね。

それですよね。親がすごかったと思います。自分が親になり、そのすごさを感じますね。

それからもう一度高校受験されて、慶応女子高校に入学されたのですね。その時は、私立はあんな感じだから嫌だなという思いはありませんでしたか?

あまりそこまで考えていなかったですね。入学した慶応女子高校はお嬢様学校じゃなかったので気になりませんでしたね。

私は高校の後輩にあたるわけですが、あの高校に入学されて、更にもう一度大学受験をするなんて私にはとても考えられないです。

そうですね。入学した時は両親も、これでもう受験はないと安堵していたらしいのですが、高校2年の秋くらいに、受験をしたいという思いが出てきました。それは「生態系」を学びたいと思い始めたからです。

慶応大学にはその分野がなかったのですか?

その当時はなかったです。ないなら、外へ行くしかないと思い、また受験をしました。

生態系というのは具体的にどのようなことを学びたかったのですか?

地球の変化に興味がありました。環境って、どこか一部で頑張っていても、地球上みんなで頑張らないと効果はなくて、どうも人間活動、社会活動により地球がおかしくなってきているということに、中学の頃から興味がありました。高校生になり、更にその興味が深くなり、やってみたいなと思いました。それなら、最初から慶応えらぶなよ~って感じですがね(笑)

kato1-1.jpg

中学の時点では、なかなかそこまでわかりませんものね。
そこから受験を経て東京大学に入学されたのですね。農学部はご自身がやりたいところだったのですか?

そうです。環境や生態系など、やりたいことができる学部でした。農業工学科です。今は別のかっこいい名前になっているようです

何を専攻されていたのですか?

結局論文にしたのは、ロボットについてでした。今流行っている植物工場について研究したかったのですが、当時専攻の中にはなく、栽培の省力化に役立つような機械をつくる研究をしました。

ロボットというのは具体的に言うとどういうものですか?

トラクターなどの移動体のお腹に雑草を焼き切る機械をつけて、カメラで見ながら焼いていくという機械を作りました。今考えると、そんな機械いらないよねと思いますが(笑)。

これを勉強や研究する果てには地球や環境を守りたいという思いがおありだったのですね。

はい。そうです。農薬不要になりますからね。

卒業後はどうされたのですか?

イギリスのクランフィールド大学院に1年間通い、修士号をとりました。

イギリスでも工業系の機械を研究されていたのですか?

この時はスプリンクラーロボットです。イギリスという国はほぼ西からしか風が吹かないのですね。水を撒いていると全部東に流されてしまう。ですからそれを均一に撒けるようなロボットを作ろうと思い研究しました。

その後は就職されたのですか?

はい、イギリスにいた頃、先生にアメリカのNASAでの仕事に誘われました。内容は植物工場のプロジェクトです。NASAが宇宙ステーションに植物生産キットを乗せるという構想があり、そのプロジェクトに参加しました。ようやく、かねてより研究してみたかった植物工場に携われると思い、ワクワクでした。

無知で申し訳ないのですが、宇宙ステーションってどこにあるのですか?

宇宙にあります(笑)日本人も行ってるじゃない?
地球の周りをすごい速度でグルグルまわっていて、宇宙飛行士が数人、入れ替わりながらずっと住んでいます。宇宙ステーションって「宇宙に住もう」計画なのですよ。毎回打ち上げて、ドッキングして、色々なものを補給したり、交換したりするのだけれど、その状態だと人間は住むことができないので、宇宙ステーションの中で植物生産をきちんとできるようにしましょうというプロジェクトがありました。それはまさに植物工場です。

そこでどのようなお仕事をされていたのですか?

宇宙に持って行った種について、宇宙船は放射線があたるので、その影響を地球で調べたりしました。
放射線の影響で、茄子がどんどん肥大化したりして、ここに住んだらガンになってしまうなあと。遺伝子異常が起こります。

kato1-2.jpg


宇宙飛行士の皆さんはどのくらいのスパンで行くのですか?

半年から1年くらいでしょうか。

え~?そんなにいて大丈夫なのですか?

それも含めて実験しているんですよね。

話が大きすぎて、付いていけません(笑)。NASAにはどのくらいいらしたのですか?

本当は博士号取るつもりでしたので数年滞在する予定が、半年ほどで、メインの先生が異動したことをきっかけに日本に戻ることにしました。
アメリカから急きょ就職活動すると、キヤノンが新卒として採用してくれるということだったので、帰国し就職しました。

キヤノンさんではどんなお仕事をされていたのですか?

カメラの中には半導体が入っていて、システムオンチップ(SOC)という、色々な画像処理をするチップが入っています。昔は全部物理的に作りこんでいましたが、私が入社する何年か前からは、ソフトウェアでプログラミング的にその回路が半導体に組み込まれていて、その検証部隊に配属されました。

検証部隊といいますと?

このチップにはこういう機能をつけますとプログラムする人がいて、それが正しく作動するのかどうか、例えば「ボタンを押す」と「カシャっとシャッターをきる」とプログラムされているけれども、「このボタンと、このボタンを同時に押すとどうなる?」とか色々な場合を想定して検証をしなければいけません。その検証部隊をしていました。

それはたまたまカメラだっただけで、加藤さんは機械の作動に関する検証を行っていたということですか?

そうですね。半導体の作動検証です。でも1年で寿退社し、静岡に来ました。

寿退社だったのですか!

すごいでしょ(笑)。実は私、寿退社だったのですよ(笑)。

それは意外でした。静岡ではお仕事されていたのですか?

はい、こちらでもCAM(コンピュータ支援製造 computer aided manufacturingの略語)の形状の解析研究をしていました。
1年で子どもが生まれたので産休を取り、その後、在宅勤務をさせてもらいました。夫の実家に子どもを連れていき、そこで子どもを見てもらい、私は一室借りてそこで仕事をする。ということをしていましたね。

ご主人も、お忙しくされているので、どうやって子育てをやりくりされているのだろうと思っていたのですが、そういうことだったのですね。
その点、お若いときにお子さんを生んでらっしゃるのはいいですね。

しばらくして、前から興味のあった農業のこと始めたいと思い退職しました。とはいっても、私が抜けると研究がままならないのはわかっていたので、辞めてから2年くらいは、個人事業で研究開発のサポートをしながら、静岡大学の農業系の講座に通いました。
農業にはビジネスチャンスがいっぱいあるなと思い立ち上げたのが、この会社です。


(撮影協力 本多佳子)

#1 3度の受験と3度の転職で見つけた世界
#2 女性だし、よそ者だけれど、それが私の最大の強みです。
#3 転機は、スーツを脱いでジーパンでタメグチで飛び込んだこと。
#4 私のHappyの根源は、自分の食べるものを自分で手に入れられたこと