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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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Made in JAPAN を世界ブランドにしたい―酒井 幸太郎さん

【第2話】海外にもっと日本のものを紹介していきたい
2020年06月24日
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 酒井さんとは5年ほど前、日経ビジネス経営塾1期の同期生として出会いました。見た目通り、優しくて穏やかなお人柄で塾生同期の間でも人気者です。こう見えて人見知りの私を、みんなの輪の中へ入れてくれたのは酒井さんでした。経営者一家でありながら、ご自身も起業されていて、柔らかさの中にしなやかな強い芯を感じます。全3話お楽しみください。

酒井幸太郎

株式会社アースモス 代表取締役

酒井 幸太郎さん

 

1979年生まれ
2002年大学卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスに留学。
2006年に帰国後、父の会社に就職。
2008年、どうしても起業したい気持ちをおさえきれず独立。高級車の輸入なども手掛けたが失敗。
高校生の頃から収集していたアナログレコードなどをインターネット上で海外に販売する越境EC事業を立ち上げ、EC業界に参入。しかし為替の影響で軌道に乗れず失敗。アルバイトをしてしのぐ。
2010年、身内の提案ではじめた陶磁器製和食器のネット通販事業が伸び、現在に至る。

 

起業の現実は甘くなかった、その苦しさの部分を少し教えていただけますか?

 

そうですね。最初は増収増益で伸びてきていました。
最初に売上が伸びたのが陶磁器です。陶磁器は非常に種類が多くて、同じデザインのお皿でもこれを一寸ずつ増やしていけば違うバリエーションになるわけですよ。

だから、そういったものを含めると、今、うちの陶磁器だけで40万点から50万点の商品展開があります。 これまでは、その中からお店の方が目利きをして、仕入れて販売するというのが普通の商売のやり方だったのです。けれど私は、全くの素人ですから、その商品の中から「これが売れる」というところに自信が無かったのです。

 

それでどうされたのですか?

 

とりあえずここにあるものを全部一度お客さんに紹介しようと思ったのです。

私はインターネットを使っていたので、そこに商品を並べたのです。スーパーや店頭の棚と違って、インターネットの中では、サーバーの許容やスペック次第で、いくらでも商品を並べる事は出来ますよね。 その中からお客さんが気に入ったものを買って頂ければいいんじゃないの?という発想でやり始めたら、それが当たったのです。
その頃、私がやっていた事は、ひたすら商品点数を増やしていく事でした。それが自分で気付かないうちに、いつのまにかどこかで頭打ちになっちゃったんです。私の一つ目の誤算は、次の手を打つのが遅かったということです。
仲間と商品登録するのも楽しかったですし、自分なりには工夫し、変化していたつもりだったのですが、できていませんでしたね。

二つ目は、非効率的な経営の形だったことです。食器業界は、今、買う方も減っています。単価もそんなに高いものではありません。先ほど申し上げた通り、商品点数が多いため、注文が入ってから出荷するまで時間がかかるのです。理想では同じものをたくさん売るのが効率のいい経営ですから、そういった意味では非効率な経営だったと思います。

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たくさんの商品群の中から選んで貰う、というのはこだわっていたことですよね?

 

そうです。実際、うちと同じようにたくさんの商品の中から選んで貰うやり方で伸ばしている企業もあったので、どうすればこだわりをもって、効率も上げられるかを模索しています。

 

海外にも販売し始めたいという事なのですが、今は日本と海外、どれくらいの割合なのですか?

 

売上に対して、大体海外が1割くらいです。

 

もっと増やしていきたいですか?

 

もちろんです。

 

では、酒井さんがこの仕事をする社会的な意義についてはどのようにお考えですか?

 

今、日本は高齢化社会となり、この先、人口がどんどん減少していくと言われているなかで、日本が今後どうなっていくのかというのは常に気にしています。私が気にしたところで変わらない部分が多いと思うのですが、それでも、誰かがやってくれるだろうではいけないと思っています。何かしようという思いがないと、自分の中でも満足感や充足感、それこそ自分が生まれてきた使命、そういったものが感じられない。せっかく生まれてきたのだから、規模は小さいかもしれないけれど、日本をもっともっと世界にアピールしたいのです。このまま人口が減り、世界から見て、「そんな国もあったよね?」という風になるのは、凄く悲しいなと思っています。せっかく世界2位まで登りつめた経済大国日本なのですから。

確かにそうですよね。

 

2位ではなく、3位かも知れない4位かも知れないけれど、少なくとも100位まで下がるのは食い止めようとか、そういう気持ちでいます。そのために何ができるかと考えたら、「もっと日本の良いものを海外に!」というのが、私がこの仕事をやる社会的意義です。

実際に今そうやっていくのが、今後何十年か先を見た時にも正解なんじゃないかなと思っています。私は海外に販売する物は、基本的にはメイドインジャパンを中心に扱っています。他の業者の多くは、日本で企画した物を海外の工場で作り、日本や海外で販売しているのです。それが最近、海外の工場から直接ネット販売されているということがあります。そうすると価格競争が出てくるのです。オーダーした側よりも作っている現地の方が優位になってくるのです。

もちろんそれをいろいろな形で食い止めるように努力されていますが、それならば、そんな事をするよりも、初めから日本でちゃんとしたものを作って海外に売ればいいと思うのです。

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そんなことが行われているのですね!酒井さんとしては、はじめから日本で作った物で商売をして日本が勝つような仕組みを作りたいという事ですね?

 

はい!そのとおりです。
余談ですけど、ドナルド・トランプが工場をどんどんアメリカに戻そうとしているのも、色んな意見はありますけど、私はそれも有りだと思います。やっぱり自国が一番大事だという思いから、価格競争から国産品を守ることは必要です。

 

日本の労働力を生かしたいですよね。

 

そうですね。一番良い例はドイツです。ドイツは貿易収支も黒字ですし、ドイツ製というブランドにもなっています。実際に物もとても良いですから。

 

確かにドイツ製と聞くととても良いイメージですね。
では、仕事をしていく中で「こう在りたい」というこだわりはありますか?

 

在り方ですか・・・。例えば、松下幸之助さんは商売を成功させる秘訣として、「世の為人の為、自分の為になる事をやれば必ず成功する」と仰ってたんですけど、私も、まずは誰かに喜んで頂いている事、「ありがとう」という一言が頂けるだけで自分がやった価値があるなと思えます。

自分が「こうしよう」と先に決めるより、目の前の相手がしたいことを優先します。「じゃあそれを実現するためにはどうしようかな」って考える。どちらかというと自分から発信するというよりも、相手がこうしたい!じゃあこうしたらどう?というような形をとっていくことが多いですかね。

 

それがこだわりなのかもしれないですね。

 

だから実は今日みたいなインタビューの時、自分の事を発信するのが凄く苦手で(笑)いつも相手があって自分があると思っているので、自分のことだけを話すというのは難しいですね。

 

酒井さんは本当にとてつもなく「いい人」ですよね。
このメイドインジャパンにこだわる理由というのは、やはり留学経験が大きいのでしょうか?

 

大きいですね。
学生の頃に聞いていた音楽のジャンルは、パンクだったのです。パンクの世界は、ワールドワイドで、そして凄くマイナーなのです。 要するに、リスナーの数が非常に少ないジャンルで、でもその分、他国の人との交流や絆がとても強いんですよ。

日本のアーティストのレコードというのは日本で販売してますよね?その日本のアーティストのレコードを欲しいっていう海外の方がいらっしゃるわけですよ。そうすると今度は私も海外のアーティストのレコードが欲しいってなったら交換が始まるのです。

 

コミケみたいな世界観ですね?

 

本当にそんな感じです。インターネットでレコードが買えるんだっていうのを知る前は文通でしたよ(笑)雑誌に、売りたい買いたいとうリストが載っていてそこから文通が始まるのです。
そこでやりとりするのはアメリカ人が多かったのですが、そのパンクというジャンルでは、フィンランド、スウェーデン、イギリス、ドイツ、フランスで、が多く、ヨーロッパが中心だったのです。フィンランドのフランスも、やり取りは英語なんですよ。それが、留学したいと思うきっかけになったとも言えます。やっぱり英語が理解できれば世界が広がると思ったのです。

 

そう思い始めたのは何歳くらいですか?

 

それは大学の時ですね。当時は、先輩からレコードを通して色んなアーティストを教えて貰ったことがきっかけです。

 

パンクという世界とのはじめの出会いは何ですか?

 

はじめの出会いですか…(笑)友達の紹介ですね。高校の頃、友達が勧めてくれたCDです。聴いてみたら、いいな!と思ったのです。


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そうなのですね!そう考えるとやっぱり出会いというのは人からなのですね。
ところで酒井さん、小学生の頃はどんなお子さんでしたか?

 

どうだったかな(笑)?今振り返っても幸せな幼少期だったと思います。比較的楽観的な性格なので、何か辛い目にあったという記憶もないですし、あっても忘れてるんだと思うくらい幸せでした。

 

どういったご家族構成でしたか?

 

祖父と両親と僕ら兄弟3人、6人で住んでいたんですが、父は殆ど家にいませんでした。

 

佃煮屋さんを経営されていたおじい様と同居されていたのですか?

 

そうです。私が物心ついた時、祖父が社長で父が専務でした。父は付き合いが多かったので、殆ど家にいませんでした。家のすぐ目の前が工場だったのでしょっちゅう工場に遊びに行っていました。母は私達3人を育てながら、工場で事務をしていたので、幼稚園や小学校から帰ってきたらすぐ工場行って、事務のおばちゃんと遊んで貰っていましたよ。

 

物心ついた時から商売がとても身近にあったのですね。

 

そうですね。そんな環境で育てて貰いました。

 

躾などについて、こうやって育てられたというエピソードはあります?

 

特に、こうしろああしろと強く言われた事は記憶にないのです。放任主義だったのかな。どちらかというと私がやりたいって言った事は「やってみれば?」と、チャレンジさせてくれましたね。そんな母からひとつだけ強く勧められていたのは、海外留学でした。中学生の頃から「1回は海外へ行ってみたら?」とか、夏休みに1か月くらい交換留学プログラムがあったので、「行ってみたら?」ってしょっちゅう言われていましたね。

 

中学の時は結局行かなかったのですか?

 

その頃はあまり興味がなく、結局行きませんでした。そして10年くらい経ってから留学したのですがね。

 

では、小さい頃は何になりたかったですか?

 

幼稚園の頃は何と、お花屋さんになりたかったのです。

 

とても可愛いらしい夢ですね。なぜですか?お花屋さんが近くにあったのですか?

 

近くに花屋もなかったけどね。なぜでしょうね(笑)
多分、花屋さんになれば女の子にモテると思ったんじゃないですかね?女の子は花が好きだと思って。

 

それを幼稚園で考えつくのがすごいですね。
その頃の自分と今の自分は、共通点ありますか?

 

近くにいる私と関係がある人達には幸せになって欲しいという思いは一緒かなと思いますね。

 

なるほど。お花を貰うと幸せになりますものね。幼少期から、誰かを笑顔にしたいと思われていたのですね。
第3話は酒井さんの本質にもっともっと迫ります。お楽しみに

 

撮影協力 本多佳子