このページを編集する

CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

CONTACT

 2018年7月  

SunMonTueWedThuFriSat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031

必然、必要、ベストを尽くして生きていく―尾崎 志津子さん

【第2話】今いるところでこれ以上出来ないくらい頑張ることで、開けた道
2018年07月26日
oka-1top.png
たぐいまれなる集中力と、流れにあらがわない潔さが、尾崎さんを作っているのだと感じました。
シンプルに生きることの素晴らしさ、「今いるところでこれ以上出来ないくらい頑張ることで、開けた道」
お楽しみください。

岡学

ジブラルタ生命保険株式会社
エグゼクティブ ライフプラン コンサルタント

尾崎 志津子さん

-Profile-


音楽大学を卒業後、新卒で保険会社に飛び込む。「自分にできる最大限」をやり続けることで見つけた自分らしい営業スタイルを確立し、3年目で保険業界のトップセールスが集うMDRT※に入会。お客さまと自然に打ち解けてしまう話し方や、「お客さまが困った時や辛い時こそお役に立てるのが保険の仕事」という真摯な姿勢が支持され、旧AIGスター生命では3年連続全国1位に(現在はジブラルタ生命と合併)。「少しでもお客さまのお役に立てること」を一番の信念にして18年間、多くのお客さまから支持を得つづけている(月平均20件の成約、約2,500件の契約件数を保持)。

・旧AIGスター生命にて、4度の全国1位を達成
・ジブラルタ生命にて、4度の全国2位を達成中

※MDRTとは、1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は世界69の国と地域の500社以上で活躍する、62,000名以上(2017年7月現在)の会員を有する、卓越した生命保険と金融サービスの専門家による国際的かつ独立した組織です。MDRT会員は卓越した商品知識をもち、厳しい倫理基準を満たし、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険と金融サービスの最高水準として世界中で認知されています。

・2002年~2018年まで、成績資格会員を継続中
・2006,2008,2012,2013,2015年度、COTを計5回達成(MDRT入会基準の3倍)
・2014,2016,2017,2018年度、TOTを計4回達成(MDRT入会基準の6倍)
・2018年度MDRT日本会 広報委員長

 

#1 心からやりたいと思うことを目標にする
#2 今いるところでこれ以上出来ないくらい頑張ることで、開けた道
#3 人はいつからでも、どこにいても、どこからでも努力をすれば夢はかなう

尾崎さんにとって今ワクワクすることは何ですか?

プルデンシャルグループで一番になることに夢があります。グループの一番になるということはやってみたいです。いつか遠くない未来にできたらいいなと思っていて、これにはすごくワクワクしますね。
そしてその後、尾崎志津子ラーニングセンタービルを建てて、親や仲間がそこに暮らしたり、そのビルにお客様の飲食店を入れてサロンを作ったり、たくさんの人が集える場所にしたいです。「私がやる」ことで「喜んでくれる人が膨大に増える」とイメージできる目標に、私は燃えるのだと思います。

尾崎さんから見て私(重松和佳子)の目標はどのように写りますか?

自然体でとても素敵です。和佳子さんが仕事で今よりも高いゴールを目指したいのならきっとできると思います。志ある方には、ぜひ「これをやったら明らかにステージが変わる」という高みを目指して欲しいです。
女性は、“高い目標設定”をすると「家族に迷惑をかけてしまうかもしれない」「自分の時間がなくなるかもしれない」とリスクを考え、「それなら今のままで充分」と現状維持してしまう傾向があります。ですが、和佳子さんのように仕事も家庭も大切にできている女性には、未来の働く女性たちが和佳子さんの姿を見て夢を持てるような、そして、和佳子さん自身が誰よりもワクワクするような目標を立てて欲しいですね。

今の仕事について、なぜこの仕事なのかということを教えてください。

昔からそうなのですが、“流れに身を任せて”生きています。「絶対にこうあらねばならない」というような意思はあまりなく、その場その場を一生懸命頑張っていたら、「これを目指したら?」と未来につながるアドバイスをいただけたり、不思議と天の助けや導きのようなことに出会うのです。流れの中で出会ったものを受けとめて生きていく。少なくとも今まではそういう生き方でした。「何のために?」とか「どうしてこの仕事を選んだのですか?」と聞かれると特段の理由はないのですが、自分が置かれた場所で、今いるところで、「これ以上出来ない」というくらい頑張った結果“開けた道”を進み続けています。

尾崎さんが保険の仕事をやる意義は何でしょうか?

私は、「尾崎さんがいたから、こうなれた」とか、「尾崎さんが歴史を変えてくれた」とか、そういうことに惜しみなく力を出したいです。“この人がいた”から、「業界が変わった」「新しいものが発明された」「たくさんの人が喜んでくれた」など、社会的な意義のあることが好きです。お金を稼ぐということにはあまりピンと来ないのですが、今まで誰もやらなかったことへの挑戦にはワクワクします。
保険の仕事にも、私にしか出来ないことがきっとあると思います。「これ以上ない」というくらい精一杯の力を出し切って、この業界に貢献していきたいです。


ozaki1-2.jpg

保険業界をこう変えたいというような理想はおありですか?

私はお客様が最も苦しい時や大変な時、お客様に寄り添い、お客様のお役に立つことができるこの仕事が大好きです。保険の仕事はよく下に見られがちですが、私のお客様は保険に対する見方が、そうではないのです。
「保険業界の地位を向上させたい」とよく耳にしますが、実際、私の周りにはそういう風に思っている人がいないので、そこをどうにかしたいという発想はありません。保険を販売する私が本当に素敵であるように頑張っていれば、変えようとしなくても、人は自然と「素敵な仕事だな」と感じてくれるのではないかと思っています。

ところで尾崎さんは、子どもの頃、どんな風に育てられたのですか?

両親からすごく褒められて育ちました。母は保育士をしていたのですが、母から怒られた記憶はほとんどありません。否定形は言われたことがないですね。

どういうふうに褒められたのですか?

「さすが志津子!」です(笑)「なんでこんなことが出来ないの?」ではなく、「あなたならきっとできる!」と言われて育ちました。注意が必要なときも、怒らない代わりに悲しみで伝えられました。例えば、道にごみを捨てると、母は泣きそうな顔で、「これを後で拾ってくれる人がいるってことを想像しないで、捨てちゃう志津ちゃんを見るのは、お母さん悲しいわ」と。心に響く表現が、本当に上手でした。そういう育てられ方をしました。
一方、父の口癖は、「志津子の言うとおりだ!」でしたね(笑)毎回、「全く志津子の言うとおりだ!」です。

それは間違っていたとしてもですか…?

そうです(笑)父はそれが口癖でした。ですから、ハツラツとした元気な生意気な子どもだったと思います。

そうでしょうね(笑)小さい頃なりたかった仕事はありますか?

母の影響で保育士になりたかったです。子どもは自分が見た世界で夢を決めるもので、保育士かピアノの先生になりたかったです。その頃の私の世界において、大好きな二人でした。

その後、流れに身を任せ今があるということですね(笑)

そうです(笑)。この時、保険の営業になるとは全く考えていませんでしたから。

ozaki1-3.jpg

そんな流れの中で、入社以来、高い業績を維持し続けている秘訣はなんですか?

先ほどお話したように、目標が高いことと、気持ちの切り替えの早さだと思います。

ちなみにどのようなとき、気持ちの切り替えが早いのですか?

例えば、ある方と商談がうまくいかなかったなどのマイナス要因があったとしても、次の方との商談では、その方との“目の前の時間”だけに集中します。前の商談の気持ちを持ったままいくと、嫌な気持ちを持った私が話をすることになりますから。

それは、元来早く切り替えが出来るのですか?それとも、早く切り替えようと努力されるのですか?

元々のものもあると思います。母から「切り替えが早いね」と言われて育ちました。「志津ちゃんのいい所は切り替えが早いところ」と。才能というよりは、一種の洗脳かもしれません。「お母さんも志津子みたいになりたい!」と言っていましたから。そんなふうに言われたら、「私ってそうなのかな」って思いますよね(笑)

お母様、面白いですね。「志津子みたいになりたい」って。そういう育て方はなかなかないですね。ちなみに、仕事での失敗談はありますか?

若い頃、仕事の業績を優先してしまったことです。増え続けて行く新しいご契約やご紹介のアポに追われて、既存のお客様の対応に充分な時間をとることができなかったのです。何が何でも達成したいという思いも強く、当時ご入院されていた大切なお客様とのアポを先延ばしにしてしまったのです。それまでたびたび御見舞には伺っていたのですが、その方が帰らぬ人となってしまう直前のアポで会いに行けなかったことは、私の一生の後悔です。これが一番の失敗です。

どういうお客様だったのですか?

とても大切なお客様でした。もちろん保険にもご加入いただいていましたし、ご紹介もたくさんしていただきました。「尾崎さんの足りないところを補ってあげたい」とおっしゃって、奥様と一緒に、三人で毎月食事に連れて行ってくれたこともありました。私は、高校時代は剣道、その後音大と、地方から出てきた田舎の子でしたので、どこのご飯がどう美味しいかなどは全く知りませんでした。ですから、私にとっては“あしながおじさん”のような存在でした。ちょうど両親と同じ位の年齢の方でしたので、娘のように可愛がってくださいました。その方が病気で入院されたときは、ほぼ毎週のように御見舞いに伺っていました。ですが、あるとき突然お客様の方から「会いに来て欲しい」と言われたアポを、その週のあまりの忙しさを理由に後回しにしてしまったのです。そして、私が伺う前に亡くなられてしまいました。奥様から「尾崎さんに会いたいって待っていたのよ。どうしてすぐに来てくれなかったの?」と亡くなったご主人様からのお手紙を渡されたとき、返す言葉がありませんでした。

差し支えなければ、お手紙にはなんと書かれていたのですか?

「今までありがとう。本当に楽しかったよ。尾崎さんには感謝しかない。妻のことを頼みます」といったことが、震える字で切々と書かれていました。この時は、大失敗どころか、この仕事を辞めようとも思いました。

それは、そう思いますね…。

でも大切な奥様のことを託されて、「このままでは辞められない」と本当に心から反省しました。このことがあったからこそ気付けたことは、今も私の胸に刻まれています。

ozaki1-4.jpg

チャンピオンになられたのはその後ですか?

そうです。それから5年経ち、7回忌を終えた年にチャンピオンになりました。「もう、自分を責めなくてもいいんだよ」と許してもらえたようにも感じました。

改めて、尾崎さんの強みと弱みを教えていただけますか?

人との距離が近いことでしょうか。最近知り合った方でも、まるで昔から仲が良かったかのように感じることができます。「人との距離の縮め方が早い」のは私の強みです。

なぜそれができると思われますか?

強みというくらいですから、実は、意識したことはないです。私にとっては“空気を吸う”ように自然なことなのです。

持って生まれた才能ですか…。読者にあまり参考にならないかもしれないですね(笑)

そうかもしれないですね(笑)。そこに対して、「努力」はしていないですから。ただ、どんな人にも、「自分にとっての“当たり前”が、他の人から見たら“すごいこと”」という一面があると思うのです。例えば、「笑顔がいい」「一緒にいると落ち着く」や「人の名前がすぐに覚えられる」「三度の飯より野球が好き」など、努力することなく出来てしまうことや、大好きでたまらないことは、きっとその人の「強み」になるのではないでしょうか?

その通りですね。では、弱みはありますか?

何においてもやり過ぎてしまうことでしょうか。仕事も、飲み会も、熱中するとついついやり過ぎてしまう(笑)。もうすこしバランスよくやれたらいいのにとは思いますが、これは私の強みであり、また弱みでもあるところです。

(撮影協力 本多佳子)

 

#1 心からやりたいと思うことを目標にする
#2 今いるところでこれ以上出来ないくらい頑張ることで、開けた道
#3 人はいつからでも、どこにいても、どこからでも努力をすれば夢はかなう