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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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僕たちの仕事は、命は救えない。けれど、お客様の人生は変えられるかもしれない。―三原 孔明さん

【第1話】教育の根幹は教え手が決して諦めないこと。
2018年03月08日
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原さんとは7年ほど前に、とある泊まり込みの研修で出会いました。彼は当時はまだ独立前でしたが、
たくさんの参加者の中でも、ひときわ目立っていらっしゃいました。
これまで三原さんとは、互いの仕事観や人生観について熱く語り合って来ましたが、
急成長を続ける原動力や考え方を知りたく、この度、とても気持ちの良いオフィスの素敵な社長室で、
インタビューの機会をいただきました。

全3回でお届けいたします。お楽しみに!


レナード株式会社 代表取締役 三原 孔明さん

HP:http://lenard.jp/

-Profile-


全国に展開する複数のエステサロンブランド、国内外へ販売する美容機器メーカー、化粧品メーカーなど計6法人を運営するレナードグループの代表取締役 2012年にレナード株式会社を設立し毎年200%以上の成長し、今後2025年に100億企業を目指す。企業としての成長の第一として「社員教育」を掲げ、 サロン運営においては潰れかけのサロンチェーンをM&Aにてグループ化し、 主に社員教育によって個々のマインドを改善し、短期間で売上を5〜10倍にするビジネススキームがある。 また美容機器メーカーでは製品力の良さはもちろん、三原の自ら営業マン一人一人に対して常々教育を行い、業界きっての営業力を誇る営業部を構築し、 国内外のマーケット拡大、シェア獲得を進める。 その教育の背景には、売上面だけの成果としてのこだわりではなく、お客様を幸せ、成功や、それを通じた自分自身のやりがい充実感、成長こそが最大の成果とする考え方「感動創造」という理念を掲げ、その浸透こそが教育においての最優先かつ最重要として取り組んでいる。

 

#1 教育の根幹は教え手が決して諦めないこと。
#2 理念や使命は100万回でも伝え続けないと忘れられてしまう。
#3 目指すは日本一学びの機会の多い会社であること。

本日はよろしくお願いいたします。
まず、三原さんのご経歴について、学生時代くらいから教えていただけますか?

実は中学時代は活発で勉強もスポーツも得意で、いわゆる優等生の部類に入る方でした。また生徒会、応援団長、バレーボール部キャプテンとあらゆるのリーダーをやっていました。
実家は当時繊維業が盛んだった岐阜県で衣類の製造業を営んでいました。
僕たちの小学生、中学生時代はちょうどバブルの真っ只中で、実家は当時、田舎のちょっとしたお金持ちみたいな感じでした。家にはその時代で一番大きなテレビがあったり、ファミコンのカセットがゴロゴロとあり、毎日友達が大勢遊びに来るような家でした。
両親の仕事が忙しいこともあり食事は外食が多かったのですが、両親はよく、「こんな生活を当たり前だと思ってはいけない。普通のサラリーマンでこんな風に家族を養えない。サラリーマンになるな、勉強を頑張って経営者になれ。」ということはよく言われていましたね。そんな環境で育ちました。

その後転機が来たのですか?

来ましたね(笑)勉強はできるほうでしたので、高校は地元の進学校に入学しました。
1学年8クラスあり、その中のエリートクラスというのに入っていました。入学試験の点数が500点満点で487点だったのです。100点3つもあったそうです。
まあ、それがピークでこれを機に一気に下降の一途を辿るのですが・・・(笑)

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何があったのですか?

実は母方の叔父が東京でピアニストをやっていまして、その影響もあり僕もずっと楽器が好きで、中学時代に叔父がクラッシックギターをプレゼントしてくれました。その頃からギターをよく弾いていたのですが、高校受験があるので一旦ギターを押し入れの中に封印しました。で、高校に入ってから、同じように楽器をしていた友人と出会うのですよ。封印していたギターを取り出して、そしてバンドを組み、音楽にのめりこんでいきました。部活もせずにずっとギターを弾いているバンドマンでした。

ワルだったわけじゃないんですね(笑)

ワルじゃないですよ()謹慎とか一回もなったことないですしね。ただ、バンド活動にのめりこんでしまった。見た目は目立っていたと思います!(笑)
7位で入学したのですが、ほぼ勉強はせず大学に進もうという気持ちも無くなっていました。でも入った高校は進学率100%でしたので、進学しないという選択はありえず、すすめられるがまま、地元の大学に入学しました。
ちょうどその頃バブルが弾けて、実家は倒産こそしていませんが、どんどんどんどん事業が縮小され、そして親父の言うことが変わっていきました。「サラリーマンにはなるな!社長になれ。」と言っていたのに、「安定したサラリーマンになれ。」と言い出しました。
でも今更そんなこと言われてももう遅い。僕は中学の頃から何になりたいかと聞かれると「世界を股にかける青年実業家になりたいです。」と言っていましたし、そんな安定した人生は嫌だし、平凡な人生は絶対に過ごさないという思いは既に小さいころから刷り込まれていました。

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じゃあバンドでメジャーになるんだと思っていらっしゃった?

はい、それと同時に青年実業家になりたいと思っていましたね。まあ、高校時代はそれでも音楽の世界で生きていきたいという思いのほうが強かったので、本気で音楽で食べていくにはどうしたらいいかを考えたり、叔父に相談したりしていましたね。

やがて諦める時が来るのですか?

来ましたね。入った大学は、将来の道が見えすぎることがつまらなさすぎて、結局3か月で退学しました。で、フリーターをやりながらバンドに専念していました。

バンドを組んでいた仲間は大学生ですか?

大学生もいたし、仕事をしている人もいましたので、今思うと中途半端だったかもしれないですね。心のどこかに「いずれはビジネスマンになりたい」という思いも持っていたわけですから。だから途中でメンバーが少しずつ結婚したり、就職したり、結局解散というか自然消滅になりましたね。

解散されたのは、何歳くらいのことですか?

22、3歳のころですね。結構粘りましたよ。
でも、バンドをやりながら何か道を探していたと言ったほうがいいかもしれません。

ではエステのお仕事を始められたのは?

23歳のころに知り合った社長に「うちで働かないか」と声をかけていただいたのがきっかけです。僕はいずれ独立したいという考えを持っていましたので、それも話したうえで、「じゃあ頑張って経験を積んで、独立の機会があればすればいい」とおっしゃっていただき入社しました。
23歳から32歳までの10年間そこで働かせてもらいました。

業種はエステですか?そこではどんな仕事をされていたのですか?

エステをはじめ、飲食店や、美容機器メーカーもやっていました。
僕は、最初飲食店の立ち上げのマネージャーを任されて、その1年後に開発した美容機器の営業を任されました。

営業先はエステサロンですか?

そうです。当時、営業は僕一人でした。営業の右の左も全くわからない(笑)。ですから一人で必死になって市場を開拓していきました。そこから取引先が徐々に増え、部下も増えたので、やがては営業部長に就きました。
またサラリーマン最後には、取引先であったカリスマ女性社長が経営する50店舗のエステサロン会社を、僕が勤めていた会社でMAをして、僕がその子会社の取締社長に就任しました。
それは元の50店舗のカリスマ的だった社長さんより、直々に「三原さんが社長になって下さるなら御社に会社を譲りたい」と依頼されたのきっかけです。

この頃からエステサロンを買収して経営するということをされていたのですね

当時は初めての試みでした。
実は買収した50店舗のうち、関東エリア全10店舗の状況が良くありませんでした。ですから、社長に就任してすぐにそれら店舗を全部回りました。そしたらスタッフが泣くんですよ。こちらも驚いて「どうされたのですか?」と聞くと、「ここ最近は会議などにも呼ばれないし、本部の方が店舗に何ヶ月も来ていない、会社から見放されてると思っていました」と。誰にも相談できず、アドバイスももらえない。給料も上がらない、この状況をどうしたらいいのかわからないという不安を抱えているスタッフと向き合って話したときに、突き動かされるものがありましたね。

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そんな彼女たちに、どう対処されたのですか?

話している中で、こんな状況でもなんとか頑張ろうとしているのを感じました。だから泣いているのだと・・・。なんとか救いたい一心で、まず、LINEグループを作って毎日報告してもらい、僕は毎日励ましの言葉をかけました。どんな些細なことでも相談してくださいと。そうやって毎日毎日やり取りをしただけで、その月のうちに売り上げ目標を達成しました。そして全店舗が目標を達成したと記憶しています。

それまでは目標に対してどのくらいの達成率だったのですか?

業績が良くなかった店舗は達成率60〜80%くらいですね。赤字だった店舗もありますから、もう少し低かったかもしれません。

そこから目標達成できるようになったということは、やはり「売り上げの根幹は人。その、人を動かすのも、人」なんですね。

その時に、社員教育の神髄を学ばせてもらいました。
社員教育については、前々からその重要性を感じていました。
実はこの社長を任命される前に、香港でもエステサロンを展開して任されていたのですが、香港というところは、僕が感じるには、サービスの概念がとても弱く、おもてなしという考え方が浸透していない国だと思います。
例えば、タクシーに乗っても、ただ乗車しただけなのに運転手さんブチ切れていたり(笑)、何よりも驚いたのは香港というところは、転職回数が多ければ多いほど経験値が高いと見なされます。「おっ!すごい経験積んでいるね!」と思われるのですよ。だから離職率やお客様に対する想い、労働の在り方というのが日本と考え方が真逆です。
その香港で、立ち上げからやらせてもらったのですが、社員教育していく上で「おもてなし」という考えがなかなか伝わらない。あまりに伝わらないので、コンサルを入れようと思い、香港にある日系大手の人材会社に相談をしに行くと、「三原さん香港でそれは諦めてください。そこで日本と同じような社員教育を望むこと自体が無理です。」と言われましたね。でも僕はエステサロンを運営するにあたって、日本のおもてなしの考えをどうしても伝えたい。そうでなければ香港でやっている意味がないと思っていたので、そこを諦めるつもりはありませんでした。
ですが1年やっても、損益分岐点ぎりぎりのところでなかなか売り上げが上がらない。
しかも香港は12月末の給料をダブルペイと言い、給料倍額払われます。ボーナスみたいなもので、これは法律で決まっています。1月2月の旧正月があるので、そのダブルペイを貰って、旧正月前に辞めるというのがこの業界の中では当たり前になっています。そうしたら案の定、全員辞めると言いだしました。相当ショックでしたね。僕なりに頻繁にコミュニケーションを取っていたし、食事に行ったりしていていましたからね。
なかなか香港にばかりに出張できなかったので、実はかなり実費で行っていたので、この時は落ち込みました。
ただ、逆に言えば転職の時期でもあるので、また新たにスタッフを採用して、今度は僕も相当本気ですよ。本腰入れて2月は1か月張り付いて社員教育をすることにしました。
エステサロンというのは女性専用なので、男性は出入りできませんので僕は狭いスタッフルームに閉じこもって、教育しました。

どういう教育をされたのですか?

まずは朝礼からですね。お客様を綺麗にすることだけが目的ではなくて、お客様を幸せにすることが仕事だと言い聞かせることからです。
さらにお昼も1時間休憩を取りミーティングをして朝伝えたことに対しての実行と結果の振り返りを行っていました。

ちなみにスタッフは現地の方ですか?そのコミュニケーションは日本語ですか?

香港の方が5名と香港在住の日本人スタッフが2名いました。会話は英語ですよ。伝わらないところは通訳してもらいながらの拙い英語です。
エステティシャンがお客様の施術に入る前には、どういうお客様なのかを確認し、こういう風にコミュニケーションを取りなさいと1回1回アドバイスをしました。
そして、2時から3時はサロンをお休みにして、昼礼をしました。そこでは午前のお客様はどうだったかとか、それを毎日毎日繰り返したら、なんとその月の売り上げが3倍になっていたのですよ。

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その月にですか!それはすごいですね。

それで驚いたのが、7名スタッフがいたのですが、その月一番売り上げたのが、18歳の未経験だったスタッフでした。10年のベテランエステティシャンを抜いてしまった。
彼女はとにかく素直でした。何も考えずにスポンジのごとく吸収していったのでしょうね。
ここでの経験で、どんなタイプが成果を出し、成長していくのかということもわかるようになりました。でも一番学んだことはやはり教育の根幹は、教える側が諦めないことです。文化とか常識とか違う場所であっても、ちゃんと感じることさえすれば、理解してもらえるのだということに気づきましたね。
この香港での経験が社員教育の在り方について考えるきっかけとなり、社長に就任した直後の経験で、社員教育の在り方というのが僕のライフワークになったような気がしますね。

その大手のコンサル会社が絶対に無理だということを成し遂げられたのはすごいことですよね。

そうですね。でも何度言っても伝わらず、途中くじけそうになりましたがね。そもそも生まれ持った考え方が全く違うわけですからね。そこを変えるというのは簡単ではないです。
素晴らしい考え方をコンコンと伝え、行動させ、感じさせて、評価して、初めて理解してくれました。それによってスタッフがどんどん自信をつけて来ますから、サロンにも活気が生まれます。
不思議なことにお客様からは、「内装変わった?お店が明るくなったね?」というお声を何件もいただきました。
「想いを伝えるだけでは理解されない」という教育の根幹に気づき、想いを行動に変えることでお客様に貢献した数に比例して「売上」という形で自分に返ってくる。僕の今のビジネスの成功方程式を築くきっかけとなる貴重な機会でした。

(撮影協力 本多佳子)

#1 教育の根幹は教え手が決して諦めないこと。
#2 理念や使命は100万回でも伝え続けないと忘れられてしまう。
#3 目指すは日本一学びの機会の多い会社であること。