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ドキドキの怖さをワクワクに変える―井上 博登さん

【第1話】「母ちゃんに捧ぐ」
2019年09月05日
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井上さんとの出会いは、共通の友人が主催していたワークショップでした。格好いいのに全く飾らないその立ち居振る舞いは、まさに自然体で、そんな井上さんからは自信に溢れた魅力を感じました。

人を惹きつける魅力の源は何なのか。全3回お楽しみください。


井上博登

株式会社スターネクスト
代表取締役社長

井上 博登さん

HP:http://www.star-next.co.jp/

 

1984年8月生まれ。 東京都出身、立正大学経済学部中退。光通信系の企業に営業職として入社。社内最速で管理職(マネージャー)に就任。その後、株式会社サイバースターにて美容系メディアの営業部部長に就任。株式会社サイバースターは、東証一部上場の株式会社アイスタイルに買収された後、株式会社アイスタイルにてソリューション営業部部長、サービス開発部部長に就任。2013年2月に株式会社スターネクストを設立、代表取締役に就任。

 

井上さん、ご出身はどちらですか?

 

生まれは練馬区です。6人家族、4人兄弟の次男です。

 

大家族なのですね?どういう構成ですか?

 

5歳上の姉、3歳上の兄、私、2歳下の妹です。

 

井上さんはどんなお子さんでしたか?

 

天真爛漫な子どもというよりは、大人や友人の期待に応えなければいけないというのが小さい頃からずっとありました。例えば、サッカーの試合に出たら活躍しなければいけないと思っていましたし、勉強もそうでした。誰かの期待に応えたいという思いから、いつしか悪いこともやるようになりました。誰からも強要されていないのに、友達からそう求められていると思い込んでいたところがありましたね。

 

なぜそう思い込んでいたのだと思われますか?

 

兄弟の真ん中で、どこか空気を読まなければと思っていたのかもしれません。

ですから、悪いことをしているときに、それが格好いいとか、それをしたいという感情は私には全くなく、それよりも、ただただ周囲の期待に応えたい、そればかりを優先していました。

 

なるほど。そしてその後はどうなっていったのですか?

 

悪いことを繰り返し、高校を中退し、そういうのが積もり重なり、地元から離れることを決めました。

 

なぜ地元を離れられたのですか?

 

きっかけは2つありました。

1つは隣人のアドバイスです。1歳上の友人が隣に住んでいたのですが、高校を辞めた私に「高校だけはちゃんと行っておいたほうがいいよ」と言ってくれたことです。もう1つは母からの提案です。母はどんな時も私をまもってくれていましたね。

 

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どういったことでそう感じられたのですか?

 

中学時代に喧嘩などで、何度か警察のお世話になったことがあります。その時、迎えに来てくれたのはいつも母でした。その当時は反抗期ですので、母のことも煙たがっていましたが、母の存在はものすごく大きかったなあと思います。夜中家に帰らずに遊んでいると、絶対に起きて待っているのです。明け方まで帰らない日もありました。その当時は携帯電話も持っていませんでしたから、友達の家へ「息子はお邪魔していますか?」と電話をかけていました。当時はそれもとても恥ずかしかったですが、今、自分が親になってみれば、その行動はとても理解できます。

 

そうですね。母の愛ですね。

 

「少し地元から離れて、生活をしてみないか」と母が提案してくれたのです。母は、私がやりたくて悪いことをしていたわけではないことをよく理解していたのだと思います。

 

地元を離れられたのはおいくつの時ですか?

 

高校を中退した16歳です。高校は数か月だけ通い中退したのです。

 

中退されたのはなぜですか?

 

高校に通う意味を理解していませんでした。とび職とか、そういう職業に就きたいと思っていましたので、必要性を感じていなかったのです。何となく勧められるまま行ってみたけれど、やはり違うなと感じたのです。そして地元を離れ、その後、定時制に入りなおしました。

定時制ではどういうモチベーションで通われたのですか?

 

特にモチベーションは無かったのですが、話の中心は「母ちゃん」なんです。すごくマザコンみたいに聞こえるかもしれませんが(笑)、母ちゃんを安心させたいというのはありました。たかだか高校へ通うくらいでおこがましいですが、それが根底にありました。

 

高校に通う必要性を感じられなくなって辞めた人が、わざわざ定時制に行って、4年かけて卒業するって、かなりのモチベーションがないとできないことだと思います。

 

それができたのは、私は周りの人たちに恵まれていたいうのもあります。

 

では、地元を離れて昼間は何をされていたのですか?

 

16歳から20歳までお寺に入っていました。

 


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えっ?お寺に住みながら、定時制高校に通われていたのですか?

 

はい、そうです。そこには、様々な寺の後継者となる若い人達がいて、その方たちと一緒に生活していました。そこでは、ちょうどいい具合に年が離れていて、その人達に兄弟の末っ子のように可愛がってもらったのです。私は実生活では、兄弟の真ん中なので、空気を読んで我慢したりしていたのですが、そこではいい具合にわがままも言えて、自然と甘えることができました。

 

この後継者たちと一緒に修行されていたのですね。場所はどちらにあったのですか?

 

東京都足立区です。住み込みですが、修行なんていうような大それたものではなかったです。将来僧侶となる人たちと一緒に寮生活をしながら、私は丁稚奉公みたいな感じでした。

 

どういう生活をされていたのですか?

 

日の出とともに起きて、お経をあげて、朝食を食べ、とても広い敷地でしたので、掃除をしたり、庭の手入れをしたり、15時、16時くらいから高校へ行くという生活でした。放課後サッカーをやって21時、22時に帰宅する毎日でした。夕飯を食べて、お風呂入って、ゲームやって寝るというのが基本の生活でした。が、しかし(笑)

 

が、しかし(笑)?!

 

4年間の高校生活で、その生活ができたのはそのうち3か月くらいでしょうか。実際は毎日寝坊で、昼頃に起きて、皆のお手伝いをして、学校もさぼって、遊びに行っていました。高校を卒業できるくらいは通っていましたが。

 

では、お寺に居ながらも、ある程度自由な生活をされていたのですね。

 

めちゃくちゃ自由でした。

 

そのことをお母さまはご存知ですか?

 

もちろんです。

そうなんですね。「お寺に行ったけど、修行してないわ~」って感じですか?

 

遊んでいましたが、中学時代のように悪いことをしていたわけでは無いので、母はその環境に安心していたとは思います。アルバイトができませんので、お金も持っていませんでしたから。

 

この生活から何を得て何を失ったというのはありますか?

 

得たことの方が断然多いですね。お寺には色々な人が来られます。今まで交わらなかった人たち、今まで避けていた人たちも来られます。中学時代はまじめなグループに属することが格好悪いと思っていました。しょうもないプライドがあったのですが、お寺ではそんなことは言っていられないのです。そこで色々な人と話をしてみると、意外と面白いのです。今まで何にこだわっていたのだろうと思いました。変なところで強がって、しょうもないことをしていたなと気づいたのです。

 

なるほど、格好つけていた自分のことを、格好よくないと思われたのですね。

 

そうです。そもそも格好もついていなかったです(笑)。一緒に住んでいたお兄ちゃん達が誰とでも分け隔てなく接しているのを見て、逆にそれが格好いいと思えたのです。

 


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どのくらいの人数で生活されていたのですか?

 

元々その寺で生活されていたのが4家族ほどです。ですから、20人程で共同生活していました。

 

普通に家族で生活していたら、他の人の生活って見えないじゃないですか。そういう意味で言うと、かなりの人数の生活を目の当たりするということは、なかなかできない経験ですね。

 

はい、更には、身の上相談に来られる方もいて、その方たちの環境は様々でした。15、6歳で、そんなのを見たり、聞いたり、話したりして、普通の高校生では到底できない経験をさせてもらいました。

 

確かに駆け込み寺と呼ばれるくらいですから、お寺というのは色々な方が集まりますね。定時制高校を卒業されてからどうされたのですか?

 

20歳で定時制高校を卒業して、指定校推薦で大学に入学しました。

 

大学はちゃんと通われたのですか?

 

いや~、それもすぐ辞めています。一応1年は籍があったのですが、とれたのは2単位だけでした。

 

(笑)なぜ大学に行かれたのですか?

 

動機はとても不純でした(笑)19、20歳の時に、オレンジデイズという妻夫木聡くんの大学を舞台にしたドラマが流行っていたのです。それに感化されて入学したのですが、思い描いていたキャンパスライフではなく、妻夫木くんにもなれず(笑)、私の性格には合っていないなあと思ったのです。

 

妻夫木君にはなれませんでしたか(笑)。次回は社会人としての井上さんのお話をお聞かせください。ありがとうございました。

撮影協力 本多佳子