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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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いつだって、今日の私が私史上最高に素敵―重松和佳子

【第1話】コンプレックスの塊だった幼少期~20代
2018年08月23日


2017年7月に立ち上げたインタビューサイト「the Switch」ですが、たくさんの方のご協力で、一周年を迎えることができました。インタビューを快くお引き受けいただいた方々、読んでくださる皆様、それを形にする裏方の皆様に、感謝でいっぱいです。

もともとこのサイトを立ち上げたのは、私が日々お客様と接する中で、「誰と時間を共に過ごすか」が人生だなぁ、ご縁が自分を作っているなぁと感じており、そんな皆様の人生観や美学を多くの方にご紹介したい、という思いからでした。

素敵な人は、ユーモアに溢れ、愛があり、他者に貢献されている。時間を共にさせていただく中で、たくさんのことを教えていただいています。

そんな中、毎月コーチングしていただいている木村元子さんに、「the switch一周年記念ですね。せっかくですし和佳子さんの号にしてみては?」と、ご提案いただき、チャレンジいたしました。

人の話を聞くプロの木村さんが、今回のインタビュアーです。

照れくさいですが、全3回プラス番外編。お付き合いいただけたら嬉しいです。


重松和佳子

外資系金融機関
営業

重松 和佳子

-Profile-


1980年群馬県藤岡市生まれ
1999年3月 慶應義塾女子高等学校卒業
2003年3月 慶應義塾大学卒業(文学部人間関係学科教育学専攻 )
2003年4月 P&Gジャパン入社
2009年1月 外資系金融機関に転職。
1年目より同社の成績優秀者表彰に入賞、2年目には同社の女性営業職のトップになる。 世界基準で競う業界成績優秀者表彰に入社初年度から9年連続入賞。 2016年に約半年の産休を経て、「活動量を減らしても業績は落ちない」を実践中。 現在は、事業承継、相続、信託についての勉強会や、「営業はセンスではなく科学」をモットーに、営業職についての企業研修なども開催中。 また、「営業職の面白さ、やりがい、その実践的ノウハウを若い人に伝えたい」と大学での講義も積極的に行っている。

 

-Interviewer-

オフィスブリエ
代表

木村 元子

HP:https://木村元子コーチ.com/

気持ちの良い選択が私を豊かにしてくれる

日本に5人しかいないアンソニー・ロビンズが認めたシニアリーダー。2013年にはアメリカでストレングスファインダーコーチのトレーニングを終えGallup認定ストレングスファインダーコーチとして個人、組織の強みを活かした人材育成に邁進中。 1年半前より重松のコーチでもある。

#1 コンプレックスの塊だった幼少期~20代
#2 信頼を得る第一歩は、約束を取り付け、守ること
#3 幸せの形は十人十色、その違いを尊重したい
#番外編 秘書から見た重松和佳子

 

the Switchで和佳子さんが素敵な皆さんにインタビューされている中で、今日はわたくしがインタビューさせていただきます。
人生のサマリーを教えてください。これまでどんな人生を歩まれてきたのでしょうか。

これ、答える立場になると恥ずかしいですね(笑)。
私は群馬県で生まれ、両親と4歳下の妹の4人家族でした。実は幼少期から10代の頃はコンプレックスの塊でした。なぜかというと妹がとても可愛かったのです。可愛い妹と、可愛くない自分というがコンプレックスでした。「妹はなんでこんなにかわいいの?私は?」と思いながら育ちました。ですから「自分が努力して何とかなることは頑張る。なぜなら私は可愛くないから」というのが、その当時の私の原動力でした。

高校3年間と大学4年間は体育会弓術部でした。この部活生活が私の人生の礎を築いた気がします。

中学までは共学、高校は女子高だったのですが、小学校高学年くらいから、女子特有のグループづきあいが苦手でした。友達はいましたが、すべてone on oneです。ですから、友達関係には悩んだ10代でした。実は今もグループで動くのは苦手です。

とても意外です。本当ですか?

今でもそうですが、大勢でのコミュニケーションが苦手でした。

今の和佳子さんからは想像がつかないのですが、コミュニケーションが苦手ってどういうことですか?

新卒の22歳でPGという消費財メーカーに就職しました。営業職として入社したのですが、全く営業ができませんでした。営業ができない以前に人と上手く喋れなかったのです。それまで、同世代の人としか関わったことがないですし、その同世代とすら上手くコミュニケーションが取れなかった私が、突然営業になったのです。当時していた営業は、小売店、売り場をまわり、担当者と交渉する仕事でした。はじめ名古屋に赴任したのですが、ある小売店の年配の店員さんとは全く話が噛み合いませんでした。何を話したらいいのかもわからないので、天気の話くらいしかできません。だから突然本題に入ってしまう。コミュニケーションができていませんから買ってもらえることもなく、全然営業ができないスタートでした。

その前職の営業職はご自身が選択されたのですか?

はい、私が選択しました。元々は営業職をするつもりはなかったのです。企画などカッコいいことがしたいと思っていました。それが、就職活動していたある時、就職活動支援をしている方に相談したところ「あなた喜怒哀楽が激しいから営業に向いているわよ」って言われたのですね。営業職なんて選択肢にも入っていなかったけれど、喜怒哀楽が激しかったらできるというなら、私にもできるかもと思い、営業職を選んだのです。けれど実際にやってみると、あまりに営業ができないので、腹が立ち、人事部に電話したことがあります(笑)。



それはいつ頃、電話されたのですか?

入社一年目です。営業を初めて数か月たっても、できないことが多すぎて、人事部に電話しました。「なんで私を営業職で採用したのですか?全然売れないのですけど!!」って訴えましたよ。

あと、私、車の運転もできなかったのです。社用車で営業をするのですが、ぶつけてばかりでした。幸い大きな事故ではないのですが、ぶつけたり、こすったりしてしまう。恐らく社内の歴代事故率かなり上位だと思います。初めての事故は忘れもしない、高速のインターを出るところで起こした事故でした。そこでうまく合流できずぶつかってしまったのです。で、降りたら運転席に人が乗っていない。「えっどうして!!?」と思ったらなんと左ハンドルだったのです。そして更によく見たら「Porsche」って書いてあるじゃないですか。すると、中からつなぎを着た人が降りてきたのです。なぜつなぎ?と思ったら、なんと納品前のポルシェだったのですよ。




キャー!!それは最悪ですね~(笑)。

最悪ですよ。今だから笑って話せますが、今日の納品を楽しみにしているお客様がどこかにいらしたのに事故車になってしまった…と、かなり落ち込みました。ぶつけたり擦ったりし過ぎて、上長へ言えなくて、しばらくヘッドランプをガムテープで止めて営業していたこともあります。そのくらい運転が下手でしたね。

前職には何年いらしたのですか?

6年弱在籍していました。

6年後には営業ができるようになっていらしたのですか?

1年目は営業が本当にできなくて苦労したのですが、2年目からは何となく楽しくなってきて、「営業っていい仕事だな」と思うようになりました。5年半経った頃、今の会社から電話をもらい言われたのですよ。

「あなたはとても優秀な方だと聞いています。けれど、僕も優秀なので会ってみませんか?」と言われました。「はあ??」ですよね。「そんなことなかなか言えないな。どんな人なのだろう」と興味を持ちました。

それは全然面識のない方から、今の会社にヘッドハントされたということですか?

よく言えばヘッドハンティングです。その方と面識はありませんでしたが、ちょっと面白いなと思い会いに行きました。会いに行ったら、その方の上長の話にすごく感動しました。その話というのは、「あなたの右足が人生の目的という道に乗っていて、会社人としての道に左足を乗せていたとして、それぞれのベクトルがもしズレていたら、進み続けたらどうなりますか」と言われたのです。それを絵に描いてくれたのが強烈に頭に残りました。「あっ私、股がさけかかっているかもしれない」と思いました。

それで転職を決められたのですね。

前職もとても素晴らしい会社で、たくさんのことを学ばせてもらい心から感謝しています。けれど一方でサラリーマンは、会社の業績が絶対です。会社の売り上げを上げるためにいかに売るかが目標になってしまい、自分の得意先の相手のことだけを考えるということが私にはできませんでした。会社に言われた売り上げを達成したいという思いの方が先にありました。それが今の会社には全くありません。ノルマもなく、「これがキャンペーンだから今はこれを売りなさい」というのが全く無かったのです。目の前のお客様のことだけを100%考えてご提案することができる仕事だというのを聞き、人生を変える決意をしました。



最後の決め手は何だったのですか?
前職も素晴らしい会社で、みんなが入りたいと思ってもなかなか入れない企業を辞めてまで新しい世界へ踏み込む決め手はなんだったのですか?和佳子さんを尽き動かしたものはなんですか?

決め手を言われると非常に難しいのですが、話を聞いた時点で、やりたいと思った自分を止めることができませんでした。やりたいと思う心と、そんな固定給ゼロのフルコミッションなんていうバクチはやめよう、という思いがせめぎ合うのですが、いやいや止めようというのは左脳的です。「失敗したらどうする?」と頭で考えて、出てくる思いもありました。「今のままでいれば、ある程度は約束されているのに」って。ですが、それよりも、やりたいという気持ちが勝ったという感じです。

そんな魅力を今のお仕事に感じられたのですね。その魅力は何ですか?

それはお客様100%でできる仕事だということですね。会社都合は一切ないです。社会人としてそういう企業はありえないと思っていましたから。
それまでは、私は会社が設定した売り上げを達成すれば優秀、それが出来なければダメなのだと思っていました。そうではないところで自らを試してみたい。
どこまでも馬鹿正直で居続けたい。居続けられるのはここだと感じたのです。

今のお仕事で10年目ですか?この10年どういう変化がありましたか?

30代半ばまでずっと誰かと比較して生きてきました。妹から始まり、学校に行けば、勉強ができる、できない、走るのが速い、遅い、泳げる、泳げない。思春期には、あの子には彼氏がいるのに私にはいない。部活で選手になれるなれない、何から何まで比較して生きてきて、それから逃れるために努力をし続けていました。もちろんスポーツの世界だと勝つことが目的ですし、そういう場面があっていいと思うのですが、人生において、誰かと比較し続けること、そのための努力を続けることは果たして必要なのだろうかと思うようになりました。誰かと比較するということがここ数年ほぼ無くなりました。
人と比較することなく私は私。他人は他人というのが本当に身についてきましたね。まあ、小さくはまだありますけれどね、「あそこのお子さんはあんなにいい子なのに、うちの娘はなんでこんなところで転がって泣いているの~って(笑)」。けれど基本的には誰かと比べることなく生きられるようになったというのがこの10年の大きな変化です。

それはとても大きな変化ですね。今の和佳子さんからは想像がつきません。
そうやって人と比較してコンプレックスを感じていた和佳子さんが変われたきっかけって何だったのですか?

きっかけの一つは今の会社の社内コンテストに入賞することを自分の意思でやめたことです。社内で毎年1年間かけたコンテストがあるのです。入社したての頃は、とにかく人に勝ちたい、人に認められたい、私が失敗したくないという思いで、そこに入賞するというのがモチベーションの一つでした。ある日、ふと「私は本当に入賞したいのかな」と考えたときに、人から認められたいからやっていたと気づいたのです。そう気づいてから、これをやめました。そこに向かって頑張るのをやめました。
自分がやりたいからやる、達成したいと思えばやる。もちろん営業マンなので数字が大事ですから、達成は大事です。けれど「何のためにやるのか」というのを考える転機になりました。
ずっと続けて入賞していると社内的にも、当然入賞するだろうと思われていますし、逆にやらないと、「アイツどうした?」となりますが、そこから抜け出しました。

変えてみたら何が起こりましたか?

変えてみたら、もっと自分らしくやろうと私の中に筋が通りました。本当に外圧でやっていたのだなと思います。
武道で守破離というのがあります。この「守る」というのを私は大事にしていますので、その期間頑張れたことはよい経験となりました。そして6年後、自分の意思で離れられたことはよかったですね。すべて自分の心持ちで変わるのだなと思いました。

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自分らしくやろう、自分から矢印が出ている感じですね。結果はどうでしたか?

その結果すごく楽になりました。そして出会う人が変りました。

どんな人からどんな人に変わったのですか?

自分が会いたい人に会えるようになりました。仕事としてお付き合いするというよりは、「本当にこの人のためになりたいからお仕事の話をさせていただく」という人に会えるようになりました。

それはとても大きな変化ですね。
この10年で印象に残っていることはありますか?忘れられない失敗とかありますか?

失敗はたくさんありますね。実は私、たくさん叱られています。お客様からも、商談中の方からもかなり叱られた経験があります。嫌な思いをされても、至らない私を叱ってくださる方ばかりではないので、大変有難いことだと思っています。例えば、私は営業マンとして気を付けていることの一つに約束の時間を守るというのがあります。「1分たりとも遅れない。」大抵、アポイントの30分前には待ち合わせ場所付近に到着しておくようにしています。ここまで気を付けるようになったのは、ある失敗がきっかけです。
ご紹介で初めて会うお客様と駅で午後4時に待ち合わせをしていました。ですが、前の商談が長引いてしまい、4時ちょうどに駅に到着することになりました。すると358分ごろに電話がかかってきて、「着いているのですがまだですか?」と言われました。「すみません、4時ちょうどに到着する電車なので少し遅れます。」とお伝えしたのですが、お会いした時に、「それは営業マンとして大変失礼ですよ」と言われました。その時に、4時のアポに4時到着ではダメなんだという超基本的なことに気づいたのですよ。それからですね、2030分前に到着するように行くようになりました。
とは言え、アポイントが立て続けに入ることもあります。そのときはあらかじめ先方にその旨を伝えます。「少し遅れるかもしれません」ではなく、「前の商談がつまっているので13001330の間に伺います」とバッファーを持たせ、きちんと伝えておくことも大切だと思っています。

(撮影協力 本多佳子)

#1 コンプレックスの塊だった幼少期~20代
#2 信頼を得る第一歩は、約束を取り付け、守ること
#3 幸せの形は十人十色、その違いを尊重したい
#番外編 秘書から見た重松和佳子