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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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【仕事=私事(わたくしごと)】―山本 智美さん

【第2話】「今の状況を楽しみに変えられるセンス」
2019年07月04日
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山本智美

株式会社マイナビ
取締役

山本 智美

HP:https://www.mynavi.jp

 

(株)マイナビ取締役 紹介事業本部長。1994年当時の毎日コミュニケーションズに 入社。大阪支社を経て1997年に東京本社へ。 就職情報事業や出版事業などでキャリアアッ プを果たした後、2002年から紹介事業本部に着任。2004年に事業責任者となり、2007年分社化・毎日キャリアバンク社長。2012年マイナビとの合併後、2016年取締役就任。

 

なぜ今の仕事なのですか?山本さんがそれをやる社会的意義は何ですか?

 

今の仕事は希望して始めたものではなかったのですが、それ故に「なぜこの仕事なのか」ということは繰り返し自問自答しました。例えば、私が夢見ていた出版部門の編集職であれば、いかに売れる雑誌を作るかがミッションです。売れない雑誌しか作れない編集者は、市場価値は低くなり、転職するチャンスも限られます。では人材紹介という仕事のミッションは何か。そう考え続けて、見えてきた答えは「人と組織を繋ぐことの重みと喜び」でした。

人材紹介という仕事は、法人と個人の出会いの現場に立ち、雇用の創出を通じて企業の発展に寄与し、個人の人生を決定づける仕事です。これほど責任が重く、社会貢献度の高い仕事は他にないのではないか。人材紹介に取り組み始めてまもなく、そのことに気付きました。

直接的なきっかけは、お会いする求職者、求人企業の方の真剣な思いだったのだろうと思います。異動直後の私自身は、さしてモチベーションも高くない状態なのに、求職者、求人企業の方は本当に熱く、真剣に相談してくださるのです。そんな方々の個人情報、企業情報をお預かりする。その責任の重さを実感すると、「これは期待に応えるしかない」という思いがどんどん強くなりました。必死で目の前の求職者、求人企業の方ひとりひとりと向き合いました。

結果、得られた1件の成約には、求人広告媒体を何億円と売り上げても味わえなかった何か、文字通り「言葉にできない感動」があったんです。それが私の心に光が差した瞬間です。

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それが山本さん率いる事業部の社会的意義になっていくわけですね。

 

私たちは、ひとりひとりの求職者の人生を左右し、人生を決定づける伴走者です。当時の私はまだ、キャリアコンサルタントと名乗ってはいけないくらいのレベルでした。でもお会いする方々は本当に真剣に相談してくださいます。こちらもプロにならなければならないと気づかされました。

とはいえ、人材紹介の仕事は1日にしてプロにはなれるものではありません。毎日お客様に育てていただくわけです。求人企業の担当者の方も求職者も丁寧に話を続けていくと、簡単には見えない本音が現れてきます。求人票には書いていない会社の事情、家族や友人にも相談していない深いキャリアの悩み、そういう深層にある本音をお聞きし、どうお答えするのか。これに答えられるプロになるには、どうすればよいのか? この仕事の重みと喜びに気付いた後も、自問自答は続きました。

 

プロフェッショナルになるために、具体的にされていた努力はありますか?

 

とにかくクライアント・顧客の話を傾聴しました。当時は業界職種、どこにマーケットがあるのか、営業戦略の面でも私たちはまだまだ手探りでした。自分が学ばないと始まらないのです。ですから、求人担当と求職者担当、ひとりで両面をやって、IT、メーカー系エンジニア、看護師、薬剤師、営業職、人事経理職、経営企画等々、様々なプロフェッショナルに会いました。

IT化されたデータベースはまだなかったころは、個人情報を紙の書類にして1人分ずつ封筒に入れて書庫に保管していました。法人営業として求人案件が取れたら、「あっ、その求人にマッチする人、3日前にいたぞ」って求職者担当としての記憶の中から手繰り寄せてマッチングしていました。その後データベースシステム管理体制へ移行していったのですが、そのアナログの1件1件に携われたことはとても価値がありました。データベースを検索してマッチングするのではない、自分の頭の中で人材紹介の最適解を探るプロセスを身に着けることができました。

 

本当に最初期の「事業立ち上げ」のフェーズだったんですね。

 

そうです。それは本当にラッキーだったと思います。結果、「私は『0-1の立ち上げ』が好きで、それに取り組めることこそが大きなモチベーションなのだ」と改めて認識することができました。「改めて」というのは、人材紹介の前に3年間勤めた出版部門での仕事も、同じような「0-1」フェーズだったんです。当時パソコン雑誌を中心に発刊していた当社で、常務取締役・出版事業本部長(現社長)の発案で、女性誌を作ることになりました。女性誌は雑誌の中でも広告費の額が高く、大きな利益を生み出し得るビジネスだということで、実績のある営業職をアサインしようと私に声がかかりました。

希望していた出版部門でしたが、私自身は営業ではなく編集がやりたかったんです。でもこれはチャンスだ、と思いました。配属先は、「新雑誌開発室」と言って女性誌以外にもインテリア誌、スポーツ誌、団塊世代向けの生活情報誌、何から何まで立ち上げをやる部署でした。毎日書店に行って、競合他社の雑誌にどんな広告が載っているのか、一冊一冊手に取って調査し、広告クライアントをリスト化して営業に行きました。新雑誌ばかりですので、まだ世の中に出ていないか、出ていてもまだまだ発行部数はわずかで語れる数字がありません。ゼロから始めるマーケティング、営業では、「こうなります」という夢を語るしかないのです。結果、担当した新雑誌の広告を大いに売り、2年後に念願の編集職のポストをもらえました。連日連夜、24時間営業の勢いで仕事に没頭していましたが、出版に新しい風が吹き込んだ瞬間に携わることができて、何の苦もありませんでした。

 

いろんなお仕事の経験が今の事業に生きているとお感じですか?

 

新卒採用のコンサルティング営業で、営業という仕事をやるうえでの骨と筋肉、業務への負荷耐性ができ、出版でマーケティングをかじり、アイディアベースから企画を形にしていくソフトの部分が備わったかなと思います。そのタイミングで人材紹介事業の「0-1」の立ち上げに繋がっていくのです。

 

シンデレラストーリーとお呼びするのが適切なのか迷いますが、すごいスピードで駆け上がっていかれたんですね。

 

私のキャリアは、私自身が全く予想もしない方向へ、予測できない速度で進んでいったように思います。
その自分の歩みを見て「キャリアとは、自分一人で作るものではない、人に作られるものだ」と気づかされました。

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それは流れが来たら乗った方がいいと、言い換えてもいいのですか?

 

川の流れに身を任せる時期も必要だということです。ですが、目の前の仕事に執着して、その目の前の仕事に全力を出せない人が、これをやりたい、あれをやりたいと言っても、結果は出せません。

 

常に目の前のことを全力でやりつつ、やりたいと思うことを叶えていくということですね。

 

キャリア形成には2パターンがあると考えています。目の前の仕事に全力で向き合ってきて、気が付いたらここに居ましたというタイプと、いつまでに、あの場所に行くために、今から何をしなければいけないのかを戦略的に考えて行動するタイプです。私は前者のタイプです。常に現在地をスタート地点として前を向き、分岐点でその都度与えられた条件のもと、最適の道を選び、進んでいく「対応型」でも言いましょうか。後者は意識を常にゴール地点に置き、現在地からの航路を常に引き直していく「戦略型」ですね。

そう分けると、「戦略型」の方が先を見通しているように感じられるかもしれませんが、「対応型」も何も考えていないわけではなく、実はチャンスを直観的に掴んでいるのです。ですから「対応型」の人は、直観力を持ち、流れに身を任せるキャパシティ、器が必要です。その直観力を養うのは、その仕事を100%きっちり仕上げられる“筋力”、器の土台となるのはそれでも想定外のことが起きた時に動揺しない“胆力”です。つまり、その筋力と胆力をつけるための修行が必ず必要ですし、さらに言えば修行のプロセスを楽しめるセンスがある人でなければ、成功しないと思います。

逆に「戦略型」の人は、自ら描いたゴールに到達するため、確実にスキルを磨く努力ができなければなりません。私の印象では、「戦略型」の人は最終的には組織を離れ、自ら起業されるケースが多いように思います。組織の中では流れに身を任せなければならない時期があり、上司からアサインされてはじめて特定の職務・役割を担うことができます。「戦略型」は自分の思うタイミングで動きたい方たちとも言えるので、上司からのアサインを待ち、その間はいわば組織に身を任せることになるよりも、自分で全部考え、好きなタイミングで動こうとして転職回数が増える傾向にあると思います。逆に「対応型」は社風が合えば、長く同一組織にいる傾向です。

実は私は対応型と申し上げたのですが、たくさんの事業を持つ会社に所属していたからかもしれません。私の経験した異動は、数回転職しているくらいインパクトの大きなものでした。単一事業の会社を選んでいたら、私も転職をしていたでしょうね。

 

「対応型」か「戦略型」か、どちらが自分に合うかという話ですね。

 

そうです。方法論ですので、自分に合ったルートを選ぶことが大切です。

 

とてもためになるお話です。迷っている方は多いですからね。 仕事をする中でこだわっていることは何ですか?

 

これはシンプルです。自分が楽しんでいるかどうか、ワクワクしているかどうかが全てです。
その1点に最大のこだわりを持ってやってきました。


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例えば楽しくないなと思われたこともおありですよね。

 

かつての私にとっては、人材紹介部門への異動がそうでしたね(笑)

 

そういう時にはどういう風に切り替えるのですか?

 

当時は相当自問自答しましたし、身内などにも相談しました。他の人材紹介エージェントに登録して転職活動をすることも考えました。けれど結局、「私のキャリアの価値は、営業職としての価値だったのだ。編集では売れる雑誌を何も出せなかった。私は売れない編集者だったのだ」と気づかされたのです。それが分かった時に「力をつけたい」と思いました。まず、それまで自身が築いてきたキャリア=営業職で勝負したいと。この時「どうしても編集を続けたい」と思ったなら転職して、その道を進んだでしょう。振り返れば、ここが人生の分かれ道だったのですが、転職を思いとどまったのは、「キャリアは連なっていくものであって、途中でぷちっと切れてしまうのはとても勿体無いことだ」と考えたからです。

なぜうちの会社のトップは私に人材紹介事業をやらせようと思ったのか。なぜ私なのか。その説明はほぼなかったか、あったけれど私の耳に入らなかったのか、いずれにせよ周囲からの声としては私に届かなかったのですが、ならば仕事をしながら自分で見つけ出そうと決意したんです。そうして走り出すとまもなく、まだまだキャリアも能力も足りないと自覚しているのに、事業責任者を拝命するという事態に直面しました。時を同じくして、目の前のお一人おひとりに向き合っていくうちに「この仕事は実に面白いぞ」とこれまでにない感動を味わうことが増えてきたのです。気がつくと、営業として大きな裁量権を持って、クライアント・顧客と最後まで伴走するこの仕事に、ワクワクしている自分がいました。

 

ご自身の強みを教えてください。

 

先ほども申し上げましたが、私は未開拓の畑で好きなものを作ってみろ、と言われるのが好きなんです(笑)。何もないところから、この事業にとって、最も大切なことは何か?という「コア」を掴み、事業戦略を練り、サービスに魂を吹き込んでいくことが、私にとっての仕事の醍醐味ですし、それを実現し続けていることが強みだと思います。

 

営業の人は、戦略は苦手だという方も多いと思うのですが、両方できるのはなぜですか?

 

ずっとクリエイティブな現場にいたからではないでしょうか。就職情報の媒体のご提案時には、企業の制作物、例えば入社案内などをたくさん提案し、作ってきました。そして当社自体がとてもクリエイティブな会社です。目の前の仕事で結果を出し続ければ、誰にでも新たなチャレンジの機会を得る環境があるといえます。

 

ご自身には上昇志向があるとお感じですか?

 

あまり感じていません。私は元々、職人志向です。もちろん頑張ったら頑張っただけの人並みの評価は欲しいと思います。ですから年齢とキャリアがそこそこ行ったときに主任になり、そろそろ周りも課長になっているし、私も課長になりたいという思いはありました。でも当時所属していた新卒採用の大きな事業部には、少し上のバブル世代の先輩方がたくさんいらっしゃって、直観的に「ここに居ても、色々なチャンスをもらえるのは時間がかかるだろうな」とは感じていました。ただ、役職者になりたいということが目標ではなくて、好きなことを好きなようにやりたいという思いが先にありました。同時に、転職して、組織という箱を移っても評価されるポータブルスキルを身につけ、どんな会社に行っても通用する自分で在りたいというこだわりは常に持っていました。結果的に転職しなかっただけです。20代、少し脂がのった頃に転職のお誘いも受けましたが、結果的に行かなかったのは、この会社の社風風土に合っていたのだなと思います。


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自分の若い頃を振り返っても、偉くなりたいという思いはそんなにありませんでしたので、女性はそういう人が多いのかもしれません。でも、偉くなればなるほど好きなようにできるのだから、なった方がいいでしょと今は思います。多くの女性たちが、偉くなりたいと思わないから、その現実ができているような気がしています。山本さんのご活躍から、そんなメッセージが伝えられたらいいなと思います。
上昇志向のない状態から、実際に多くの人を率いるポストにつくようになられて、視点は変わりましたか?好きなことを好きなようにやりたいという思いは叶えられたのでしょうか?

 

もちろんです。何かを始めようと思えば、自分の意思決定でスタートできるわけですから。

かつて人材紹介部門が子会社として独立した時は、小さい組織で、赤字でしたが、初めて「社長」の名刺を持って、「社長とはなんぞや」という自問自答に再び頭を悩ませました。この経験はとても大きかったと思います。社長と他の役員は全く別の存在です。会社全体の最終決定者なので、どんな役員も体験できない責任の重さがあります。つまり、会社は、その社長がどうしたいかによって全てが決まってしまうと言っても過言ではありません。私は社長として、事業の責任者として、事業をゼロから作り上げる中で、自分たちの組織を客観的に俯瞰して見る癖がつきました。クライアント・顧客から「素晴らしいサービスだ、価値あるサービスだ、社員のどこを切っても素晴らしい人材だ」と言ってもらえるようになるには、日々日々の努力を積み重ねるしか方法はないのです。一夜にして実現することはありません。本気でやり続けられるかどうかにかかっています。ゼロから事業を立ち上げてきたこと、若い頃に分不相応の「社長」を経験させてもらったことこそが、私の宝の経験だと今は思います。

 

撮影協力 本多佳子