人生はもっと自由で楽しくていい―加藤百合子さん
思い描いた農業事業をいかに実現していったのか、試行錯誤しながら、一歩一歩進んでいく姿に勇気づけられます。
従業員への想いや、子育てについてもお話いただきました。
「女性だし、よそ者だけれど、それが私の最大の強みです。」お楽しみください。
株式会社エムスクエア・ラボ 代表取締役 加藤 百合子さん
HP:https://www.m2-labo.jp/about-us
-Profile-
千葉県生まれ。慶應義塾女子高校を経て、東京大学農学部1998年卒。英国 Cranfield University, Precision Farmingの分野で修士号を取得。2000年にはNASA のプロジェクトに参画し、翌年帰国。キヤノン(株)、産業用機械の開発企業に勤 務、R&Dリーダーを務めた。2009年に当社を創業。2011年日本政策投資銀行 第 一回女性ビジネスプランコンペティションにて大賞受賞 持続可能な社会を目指し、 迷いながらも、地域や社員と一緒にブレることなく進んでいきたい。専門分野は、 地域事業開発、農業ロボット、数値解析。
#1 3度の受験と3度の転職で見つけた世界
#2 女性だし、よそ者だけれど、それが私の最大の強みです。
#3 転機は、スーツを脱いでジーパンでタメグチで飛び込んだこと。
#4 私のHappyの根源は、自分の食べるものを自分で手に入れられたこと
創業当時は、どのような事業から始められたのですか?
農業界のSNSみたいなもの、「農機具を貸したい借りたい」とか、「商品売りたい買いたい」とかそういった要望をマッチングさせるサイトを作って運営するというのをやり始めました。
その農機具の貸し借りは静岡県内ですか?
インターネットなので、エリアは関係ないです。
その問題に取り組もうと思ったのは、余っているところには余っているけれど、足りないところは足りていないということが多くあったということですか?
はい、そうです。このままではこの業界は衰退すると思いました。人生で初めて農家さんときちっとお話したのですが、すごく閉ざされた世界で驚いたのです。
工業も閉ざれていたのだけれど、あちらはワールドワイドなので、まだいい。農業は本当にドメスティックだし、そして更にローカルで他業種とのかかわりは全くありません。これは何とかしなければと思いました。コンセプトとしては「開け!日本の農業」でした。
手始めに、色々な情報をネットにあげることにしました。私のように思いはあっても、アクセスする方法が見当たらない人というのはいっぱい居るので、そこから始めました。
でも、半年間売り上げゼロでした(笑)。
だいぶご苦労されたのですね。3ヶ月くらいからしびれてきますよね。
本当に売り上げって、上がらないんだなって思いました。
まずはマーケティング不足です。9年前ですから、農家さんはそもそもパソコンを持っていない方が多く、スマホも出る前だったのでネットにアクセスしていない状態でした。まあ、事業の基本を何もせず、思いつきだったことがすべての原因です。
半年間売り上げゼロのその事業を継続されたのですか?
1年間サイトは維持しましたが、この事業は継続しませんでした。これはまだまだダメだなと思っていたら、県のほうから「そんなに農業を変えたいのであれば、何かアイデアを出してください」と言われました。そこで、ブログのアイデアを県に申請したらそれが採用されました。私のコンセプトは「開け!日本の農業!」ですから、とにかく農家さんを取材して、文字に起こしてブログで毎日投稿する。日本だけではつまらないので、5ヶ国語に翻訳して世界に広げるという事業です。そこから、色々な農家さんと知り合うことができました。
県の委託事業という名刺を持つことができたので、怪しまれることなく、農家さんと色々な話をすることができました。
その県のお仕事があったから、その後、国のお仕事もされるようになられたのですか?
そうですね。それもありますが、国の仕事が多くなったのは日本政策投資銀行のビジネスコンペの大賞受賞が大きかったですね。その関係で日本経済新聞の連載をさせていただいたりしたので、表現する場が増えると、そういった公のお仕事も増えましたね。
県の事業を委託されるようになって、その後のメインの事業はどういったものですか?
農家さんにヒアリングをしてマーケティングをすることによって分かったのは、販路を持ちたいという声が断然多かったことです。本当は農業ロボットとか機械系をやりたかったのですが、農家さんの現状ではそもそもロボットなどを購入する資金がない。だったら、稼いでもらうためにどうしたらいいかを考え、青果卸しを始めました。まずはここからだと。
加藤さんご自身は、本来は機械を売りたいと思っていらっしゃったのですか?
最初はそう思っていましたね。
どのような機械ですか?
最初に開発依頼があったのは、アスパラの選別機です。
結果的にこの青果卸しを始めて儲かったことによって、機械は買ってもらえたのですか?
いいえ、買ってもらえていません。
今ようやく、アグリテック(農業Agricultureと技術Technologyを組み合わせた造語)という波が来ていますが、この背景は人手不足です。断然人手不足なので、ようやく労働生産性を上げましょうという動きがここ3年くらい活発になってきている状態です。
3年前に私がこの「生産性」という言葉の花火を上げて、各県省庁も含めて今年になってようやくこの言葉が表に出てくるようになりました。予算を見ても去年までは「生産性」という言葉は出ていなかったのですよ。どんなことにも時間がかかるのだなあと思いました。
この「生産性」という言葉は普通に社会でも、もてはやされているじゃないですか。でも元をたどると農業の言葉ですか?
それはあるかもしれませんね。色々な製造の元は農業ですからね。
今のメイン事業は何ですか?
メインはあくまでも流通です。やさいバス株式会社を立ち上げています。今、物流コストがすごく上がって、宅配便で出荷している農家さんや、逆に宅配便で買っていた方たちが、大変なのですよ。宅配業の料金改定で、「来月から700円を1,400円に改定します」と言われてしまう。買い手に値上げ交渉できない農家さんは多いので、農家さんが700円分泣くんですよね。利益がなくなりますよ。静岡はまだ物流はしっかりしているほうですが、もっと地方に行くと、物流会社がお引越ししていなくなってしまうということが起こっています。農産物を運べなくなり、産地が無くなってしまうことも危惧しています。3年前から物流を地域でカイゼンしようと協議会を作り準備していたら、こんな世の中になってしまったので、それなら会社を作ろうと思い、やさいバスを立ち上げました。
今のお仕事の社会的意義、加藤さんがやることの意義は何ですか?
私にしかできないことをやっていたいというのは常にあります。私は女性だし、よそから来たものです。一見不利に見えますが、しがらみがないというのが私たちの最大の強みです。そもそも色々な貸し借りがないですから。新参者で農業算入したばかりですが、だからこそできること、JAとも、行政とも、農家さんとも、「何も知りません」という体で組めること、そこは私たちの存在価値ですし、ずっとそのスタンスで行きたいと思っています。
従業員は何人くらいいらっしゃいますか?
今、社員が6名、常勤の役員が1名、社外役員が2人、パートさんが4、5人ですね。
これだけの方を、お給料支払っていくって大変じゃないですか?
ちゃんと価値を提供していけば、お金はどこからかめぐってきますからね。そんな儲かりはしないけれど、0を1にしている最中なので、多くの協力者がいて成り立っています。
従業員の方に対する思いを教えていただけますか?
従業員だけでなく子どもも含めてですが相互成長をしてほしいと思っています。そのための場は提供しますが成長が止まった人は要らない。とにかく自分で勉強して、常に、この場を活用して成長し続ける人たちのチームでありたいですね。
私が前職にいた頃、基本は「UP or OUT」という会社でした。上に上がるかもしくは出て行くか・・。営業に関しては「GROW or OUT」と呼ばれていたのを思い出しました。
「成長あるのみ!」です。
その成長はどうやって測ってらっしゃいますか?
小さい事業ですから、その成長は売り上げに直結してきます。会社自体が成長中なので、そういう意味では彼らの成長が、そのまま売り上げに結びついているなと感じます。
そう考えると、彼らも、自分が売り上げを上げていることが成長していると実感できる仕組みですね。それはやりがいがありますね。
ボーナスも年4回査定があり、利益分配的な考え方をしています。なので、ひとつの案件に3か月以上の準備期間がかかる人は1回ボーナスが飛ばされてしまうこともあります。次の3ヶ月で準備が間に合えば、その時に入ってくるシステムです。
なるほど、わかりやすいシステムですね。
お子さんのときのご自分と、今と何か共通点はありますか?
小さいころから企画屋でしたね。それは覚えています。よく「今日はピクニックの日」とか企画を作って、「何時にここを出発して○○公園に行く。持ち物はお菓子300円分」という企画書のようなものを書いていました。そういうことを年中やっていましたね。
作るのがお好きだったんですね。それは今と共通されていますね。
親御さんからどんな風に育てられましたか?先ほど、勉強しろとは言われなかったとおっしゃっていましたが、他に何かございますか?
兄が二人いましたから、野球に付き合わされたり(笑)。ですからスポーツは好きでしたね。基本は放任主義でした。父はとにかく遊ぶのが好きでしたから、よく遊んでくれました。まだ周りは田んぼが残っているような場所でしたので、一緒に網を作って、小さい魚、めだかやザリガニを水路ですくうんですよ。網を使うので一回で捕れてしまうからつまんないのだけれど(笑)。そういうのを一緒に付き合ってやってくれましたね。
自然遊びいいですね。ちょっと身につまされます。これを踏まえて、ご自身がお子様たちへの教育方針はあるのですか?
同じですね。少し格好つけた言い方になりますが、「背中を見せる」ことですね。あえて細かいことを言わなくても、真っ当に生きている姿を見せればいいかなと思います。
ご夫婦で議論されたことはないのですか?
子育て方針についてですか?議論したことないですね。
子どもとの信頼関係ですね。信じるしかない。上の娘は小学生のころ、あんまりにも勉強しませんでした。でも中学受験したいと言い出したので、さすがにちょっと教えようかと思い、教えてたのですが、あまりにも覚えない。ですから放っておいたら、見事受験に失敗しました。そしたら、彼女の中でスイッチが入りましたね。後で言っていましたが、「受験もしたのに、馬鹿じゃ格好悪い」って。普通の公立中学に入ってから少しずつ勉強を始めて、卒業するときには1位でした。
私は群馬の出身ですが、田舎の学校は中学受験する人がまず少ないじゃないですか。
受験=頭がいいというのがありますから、受験したのに?って思われるのは悔しいという気持ちはなんとなく理解できます。
それがすごく響いたみたいです。
そう思うと、失敗もいい経験ですね。
いい!いい!やらせてみて、失敗することは大切ですね。失敗を尻拭いしないことは私のひとつの方針です。遅刻、忘れ物、は絶対に尻拭いしません。
素敵ですね。見習います。
(撮影協力 本多佳子)
#1 3度の受験と3度の転職で見つけた世界
#2 女性だし、よそ者だけれど、それが私の最大の強みです。
#3 転機は、スーツを脱いでジーパンでタメグチで飛び込んだこと。
#4 私のHappyの根源は、自分の食べるものを自分で手に入れられたこと