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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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気持ちの良い選択が私を豊かにしてくれる―木村 元子さん

【第1話】魂が震えるようなことを探し続けた日々
2017年12月27日
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世界のアンソニーロビンスが認めた、日本に5人しかいないシニアリーダーの木村さん。

昨年秋にストレングスファインダーの研修を受講させていただき「この人はタダモノでは無い!」と感じました。
お会いする度に気づきと勇気をいただき、憧れる女性です。そんな木村さんのヒストリーに迫りました。
全3回です、どうぞお楽しみください!

木村元子

オフィスブリエ 代表 木村元子

HP:https://木村元子コーチ.com/

-Profile-


コーチ21(現在コーチA)のインストラクターを経て、2010年より世界No.1コーチ・アンソニーロビンズに師事。リーダーに必要なすべてのトレーニングを経て、自分、人を動かす究極のパワーを学ぶ。 クライアント様が持つ才能を見極め、自分らしい在り方、潜在能力を引き出すことを得意とし、心理学、NLP(潜在能力開発)を進化させたセルフマネジメントコーチングをベースに経営者、エグゼクティブ、自分らしいキャリアを創造する女性を中心にプライベートコーチングを展開している。 ビジネスはもちろん、人間関係、お金、自己実現の先の自分など、どんな問題も障害を乗り越え、望む未来を自分で創造する力を手に入れるサポートを行っています。 日本に5人しかいないアンソニー・ロビンズが認めたシニアリーダー。2013年にはアメリカでストレングスファインダーコーチのトレーニングを終えGallup認定ストレングスファインダーコーチとして個人、組織の強みを活かした人材育成に邁進中。

 

#1 魂が震えるようなことを探し続けた日々
#2 自分のことを知りたくて始めたコーチング
#3 幸せは私の中にある


まず、木村さんの生い立ちを教えてください。


出身は神戸です。小学校から一貫校でした。
小学校は男女共学でしたが中高大は女子校です。ほんと限られた世界の恵まれた環境の中で育ちました。

ずっとご一緒ということは今も仲いいですか?

今も仲いいですよ。これはもう財産ですね。
だって、小学校の男の子も、私が毛糸のパンツはいているころから知ってますからね(笑)今、仲のいいお友達もその頃からの方もいっぱいいます。
お商売をやっているおうちが結構多くて、誰もが知っている大きな企業のご子息もいましたね。

木村さんはどういうお子さんでしたか?

子供の頃から「自分には生まれてきた意味がある」と思っていました。
あと、「死ぬときには笑って死にたい」って言っているような子供でした。

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変わってますね。普通小学校のころってそんなこと思いませんよね。

そう、そんな子だったんです。
だから、いつも自分ができる何かをずっと探していたような気がします。友達の中では、ちょっと浮いていたかもしれませんね。

木村さんのおうちもご商売をされてたんですか?

はい、父は経営者でした。
父が立ち上げた会社です。いまはもう閉めていますけれどもね。
うちも、周りもみんな経営者でしたね。

そうなんですね。何かを探してたとおっしゃいましたが、それは学生時代に見つかったんですか?

何にも見つけられなかったです。中学校も高校も何もなかったですね。

いつ見つけられたんですか?

いつだろう。ほんと最近じゃないですかね。

そうですか!でも人ってどんどん昇って登ってきちゃうから、上に行ってから見るとちょっと前は何でもなかったなって思いますよね。
10年後からみたら、今もそんなに掴んでなかったなって思うんでしょうか?

そうかも。そうかもしれませんね。

常に上に昇ってるってことなんでしょうね。中高時代は何をされてたんですか?

中学のときはバレーボールに熱中していました。

でも高校はほんとに何もしなかったですね。
実は高1のとき、デートして男の子と喫茶店に行ったのが先生に見つかって停学になり、バレーボール部を辞めさせられたの。
中学のときは県大会で選ばれたりして結構活躍してたんですよ。それで熱中できることのない悶々とした高校時代を送っていましたね。

え~!。相当厳しい処分ですよね。それは悶々としますね。
大学は何を専攻されてたんですか?


人間関係学科社会学専攻です。社会学、教育学、心理学とあって、今思うと心理学にすればよかった~って思いますけど(笑)
それでも大学のときは結構色々なトライはしたんですよ。

例えばどんなことですか?

私、実は音楽をやってたんですよ。歌や、ミュージカルを・・。

へえー!!!

ニューヨークにダンスの勉強に行っていました。

本気だったのですね!

本気でやってました。
私は二十歳のときに一人でサンフランシスコ行っていて。
これが、自分の人生の視野を広げたターニングポイントになりました。

その時は何をしに行かれたんですか?

その時は英語の勉強です。
当時は音楽をやってましたから、自分でニューヨークにも行って、そこで音楽やダンスのレッスンも受けてました。

これで生きていこうと思ってらした?

はい、これで生きていけたらいいなと思ってましたね。
でもそこで一回挫折がきてますね。

ミュージカルとか音楽の世界は9割9分挫折しますよね。
何か挫折するような事件があったんですか?

いや、何もないですよ。
実はプロの話をもらっていました。
大手レコード会社が主催する年に一度のボーカルオーディションがあって、それに合格すると1年間会社が徹底的にトレーニングをして、デビューさせてくれるというもの。

でも最後3人候補がいて、その人たちと比べられることが苦痛で続けられなくなりましたね。
今思うと比べられたというより自分が比べてしまったんでしょうね。
そして親の反対や、環境がそういう環境じゃないとか何だかんだと言い訳をして辞めてしまいましたね。

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なるほど。この3人の候補のうち、後のお二人は今も活躍されてるんですか?

一人は、80年代後半から大活躍した誰もが知る女性バンドのボーカルですよ。

え~!!

もう一人も今もミュージシャンをされてます。
彼女たちが本当に歌がうまくって、自分でその人たちと比較して「私は無理」とか「親も反対してる」、「こんなことして何になるの」と自分に言い訳をして結局は辞めてしまったんですよね。

大変失礼ですが、結果的には辞めてよかったのでは?

そうですね。辞めたからこそ今の道がありますからね。
で、そうこうしているうちに就職活動が始まる訳ですよ。
自分では何にも見つけられないまま迎えた就職活動でした。
でも海外には興味があって、当時の私の頭の中では「海外に行く」=「航空会社」という選択しかなかったんですよね。
なので航空会社しか受けなかったです。
航空会社落ちたらアフリカに井戸を掘りに行こうと思ってました。

それはまた極端ですね。なんでアフリカに井戸なんですか?

わからないですね。そのときに何かで見たんでしょうか。
決してボランティアに興味があった訳じゃなく、どちらかというとチャレンジじゃないかな。
人を助けたいというよりも、知らない世界に行ってみたいという興味のほうが強かったように思いますね。

航空会社に就職されて、思い出に残る上司はいらっしゃいますか?

いらっしゃいましたね。私、実はあまり良い従業員じゃなかった(笑)。
素直に人のいう事を聞いて、はいはいと言う良い従業員ではなく、納得しないと動かない、ちゃんと動けない従業員でした。
上司からしたら使いにくいですよね。そんな私を認めてくれた人がいたんです。
「別に会社のためとかお客様のために仕事するんじゃなくて、自分を豊かにするために仕事をしろ」と言われたんです。

いい言葉ですね。

男性の上司だったんですが、乗務以外のチャレンジをたくさんくれました。
例えば講演ですね。接遇とかホスピタリティについて社外に講演しに行くんです。最初の講演のとき、事前に原稿を作ったのですが、それを見せたら「全然おまえらしくない!こんな優等生の話を聞きたくておまえにアサインした訳じゃない。」って言われて、目の前で原稿を破られました(笑)。私は色々な本を読んで、その本をまとめてみましたっていう原稿を持って行ったんですよね。「とにかくおまえの言葉でいけ」と言ってくれた人がいたんですよね。

何年目くらいのことですか?

入社7,8年目くらいです。その上司に会うまでは、私はとても扱いにくい存在だったようです。

上司が気に食わなくて辞めるっていうのは世の常じゃないですか。でもそう考えると7年8年、経たないとこういう人に会えないのかもしれないと思いましたね。必ずしも一人目の上司で自分に影響を与える人にめぐり合えるわけではないですね。

この人のおかげで自分らしく生きられたんですか?

そうですね。チャレンジする面白さを教えてもらったように思いますね。その当時の私は会社から何か責任のある仕事、例えば「教育をしろ、教官をやれ、CS*のプロジェクトをやれ」とか振ってこられると、何も考えずにまずお断りしていました。そんな私を無理やりそこに引っ張り出してくれましたね。最初は嫌々ブーブーブーブー言いながらやり始めるんですけれども、やっていくうちにどんどん楽しくなってきて、終わったあとに「本当にありがとうございました~むちゃくちゃいい経験になりました~」みたいな(笑)。そういう場を与えてくれた人でしたね。(*カスタマーサティスファクションの略)

今でも交流があるんですか?

ありますね。実は仕事をやめてから、マネージャーたちに「あの時はありがとうございます」って言いに行ってます。

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あの時は嫌々引き受けた乗務以外の仕事がすべて今につながっていることがわかります。ただただしんどかったことが、今になって感謝に変わりましたね。

素敵ですね。感謝の言葉を伝えにわざわざ会いに行くって、思ってもなかなか行動できないので尊敬します。
今のお仕事のお話をお聞きしたいのですが、始めるきっかけはなんですか?


実は入社して厳しく長い訓練を終え、初めて乗務した時、飛行機に乗った瞬間に、「あれ~?ここは私の居場所じゃないかも。何か違う」という違和感は自分の中にずっと感じていました。

でも長く働いてらっしゃいましたよね。15年?

そう、すごい我慢強い。もうね、内なる自分の声に目をふさぎ耳をふさぎ生きてきたような気がします。気付かないふりをして生きてきたんですよね。それでもいろんなことにトライしたりトライさせてもらったりして、その都度その都度面白かったですよ。でもそこまででしたね。その当時はどれだけ結果が出ても、承認されても、充足感というか、魂が震えるというようなことは無かったんです・・・。

(撮影協力 本多佳子)

#1 魂が震えるようなことを探し続けた日々
#2 自分のことを知りたくて始めたコーチング
#3 幸せは私の中にある