人としてフェアでありたい―岡 学さん
岡様との出会いは第2回でインタビューさせていただいた、足立光様のご紹介で参加させていただいた、プロジェクトコミュニティ「GAISHIKEI LEADERS」の会合でした。エネルギッシュで自ら発信する方が多い中、岡様の印象は『静』でした。穏やかな笑顔、決して偉そうに振舞わない謙虚さ、その『静』の中にも、揺るぎない信念を感じさせる強さがありました。岡様の魅力に迫ります。全3回お楽しみください。
AT&Tジャパン株式会社 代表取締役社長 岡 学さん
HP:https://www.corp.att.com/jp/
-Profile-
1972年京都生まれ。コーネル大学経済学部卒業後、日本IBMに入社。ネットワーク・エンジニア、プロジェクトマネジャーとして、グローバル企業のネットワーク展開を担当。2000年AT&Tジャパン入社、法人向けITサービス部門のマネジメントを歴任し、2008年にサービス統括エグゼクティブ・ディレクターに就任。日本の中で閉じていたサービス部門をグローバルの組織へ統合し、システムやプロセスの標準化を実現。2010年より現職。
#1 B to BでもB to Cだと心に置いて仕事をする
#2 変わることを恐れない。80は受け入れ、20は譲らない。
#3 自分らしさを保つため、こだわりを捨てたい。
岡さんの大学時代からのお話を聞かせてください。
中学の頃からアメリカに行っていたので、アメリカの大学に進学し、経済と国際関係を学びました。正直、この時点で何になりたいと決めていたわけではありませんが、心のどこかで、海外と日本のビジネスをやりたいという思いを持っていました。
日本に帰らないといけない事情ができたので、夏休みに日本で就職活動をするために帰国しました。就職活動は難航しました。そもそもアメリカの大学には就職部というところがないので、就職活動に関するルールや、やり方を知りませんでした。
日本の大学生は、就職部から情報を得て、どうすれば内定がもらえるかなどを知っていて、我々海外組はハンデがあるんだと思い込んでいましたから、就職ジャーナルなどを読みあさり、そういった本などから得た手法に捕らわれすぎていたのだなと思います。そのためにつまらない帰国子女に映ったのだと思いますが、ほとんどの会社を落とされてしましました。
そんななかでたまたま選考が進んだのは日本IBMでした。
IBMさんは自分らしくいけたという実感はおありでしたか?
それは感じましたね。面接が進むうちに、「自分をちゃんと見てくれているな」と実感しました。そうなると、気分も乗ってきますし、私の良い面をうまく引き出してくれたのかなとも思います。
どういった職種で入社されたのですか?
SEとして採用されましたが、配属されたのはネットワークの企画部でした。1995年入社ですので、インターネットという言葉自体がまだ浸透していない時代です。ようやく、電話回線を使って通信を普及させていこうという動きが始まったころです。企業の中の本社と支社をつなぐネットワークをサービスとして提供する部門に配属されました。
企画部でどういったお仕事をされたのですか。
正直IBMがネットワークをやっていたことも知りませんでしたし、何をするのかもわからなかったので(笑)最初はビックサイトとかである今で言うITイベントのブースに立つという仕事をしていました。インターネットってこういうものなんですよっていうアナウンスをしたり、お試しフロッピーディスクをお渡ししたりしていました。時代を感じますね(笑)
こういった活動を全国行脚したり、秋葉原の電気屋のパソコンコーナーに立つということもやりました。
へー。インターネットを広めるというお仕事もされていたのですね。
そうですね。この時代は個人向けにインターネットを普及させることもしていましたし、企業向けにネットワークをこの先こういう風に使いませんか?というプロモーションをしていました。いわゆる何でも屋さんでしたが、入社2年目に新しく発表するサービスの企画を初めて任されました。ネットワークサービスを提供するためには、いろいろな部署が関係しますが、実務も分からない若手が調整役をしていたので、散々振り回されました(笑)。
企画部のあとはどうされたのですか?
SEとして入社したのに、SEの仕事をしていない。同期達はみな現場にいるのに、現場で働いていないという焦りもあり、SE部門に異動をお願いしました。主にお客様の国際ネットワークの構築プロジェクトを担当しました。
それはその会社に常駐してされるのですか?
常駐はしていないのですが、人質のようなのはありましたね(笑)。4日間の出張の予定が、トラブルでニュージャージーに1ヶ月残ることになったり(笑)。
今は賢い仕組みがあるので長時間システムを止めて作業するという事は減りましたが、当時はシステムやネットワークも柔軟ではなかったので、日中に業務が止まらないように、日曜の夜や月曜日の朝にしかできない作業が多かったです。
そうですよね。SEの方は夜中に働かれているイメージです。
そうです。正月三が日返上したり、夏休み13週間連続で日曜の夜から月曜にかけて仕事という事もありました。トラブル対応でしたので、厳しい状況もありましたが、社内でトップレベルの営業、SEの先輩に助けられて乗り切ることができました。全てがうまく終わったときはお客様にすごく評価していただけました。今となってはいい思い出です。こういった難しい案件が私を育ててくれたのだと思っています。
やはり失敗は重要ですね。
そうですね。私のミスで業務時間中にお客様のシステムを止めてしまったこともあります。その結果、何かあった時にすぐ対応できるように寒いマシンルームで数時間待機したこともありましたね。
待機って具体的に何をして待たれるのですか?
ひたすら声がかかるのを待つだけです。今は、その場で待機していないといけないということはあまりないのですが、時代ですね。スマホもないですし、ネットも見れませんし、ただ待つだけですね。現場のSEをされた方はみな経験する話です。
このあとはマネージャーになられたのですか?
はい、プロジェクトの担当マネージャーになり、一通りサービスに関係するところは経験しました。
ご出世は早かったのですか?
マネージャーになったのは早かったです。
20代後半くらいから部下がいらしたのですか?
はい、そうです。
なぜ、そんなに早くご出世されたのだとご自身ではお考えですか?
なぜ?そうですね、仕事が合っていたのでしょうね。当時、お客様を含めて英語を使える人材が少なかったことも大きかったと思います。あとは、調整ごとや折衝ということが、他よりうまくできたというところが評価してもらえたのではないでしょうか。
調整や折衝というのは、大学卒業したての20代だとなかなかできないことですよね。それはもともと能力をお持ちだったのですか?
元々の能力というよりは、運が良かったと思います。というのは入社後しばらく何でも屋さんをしていたのですが、その仕事の一つが、事業部長の資料作りだったのですよ。まあ、入社したてですから、使いっぱしりのようなものですが、そこに携わるうちに、「この資料はこういう意図で作られているんだ」とか、「こういう魅せ方をしているんだ」と手法を見ることができたのですよ。上から全体を見るという機会を早い段階から学ぶことができたのはとても大きかったです。
もう一つ、事業部長よりも上の立場のアメリカ人のジェネラルマネージャーの下で5か月間、丁稚奉公させてもらいました。その方と一緒にミーティングに参加したり、朝、彼のメールを全件チェックしていました。
メールを見させてもらえる関係ですか。それはすごいですね。
そうですね。「こういったメールは返信する」「こういった案件は指示を仰ぐ」という風にメール対応をしていました。それを見ているうちに「どういう視点で指示を出しているのか」、「こういうときには、こういうネゴをするんだ」というのを間近で学ばせてもらいました。5か月では到底学びきれなかったのですが、終わった時に、彼から一言
「Ⅾon’t lose sight of the big picture」という言葉をもらったのです。
どういう意味ですか?
細かいところばかりに目をやらないで、全体像をちゃんと把握しなさいということです。要は「森を見なさい」ですね。この二人から学んだことで、一歩引いて物を見る力が培われてきたのだと思います。
先ほど、運がいいとおっしゃいましたが、その運をしっかり掴まれたのですね。勘のよさ、センスの良さを感じます。
よく海外の担当者と一緒にプロジェクトをやると、こちらは当たり前だと思っていることが、相手の国の人には通じないということがよくあります。打ち合わせを平気ですっぽかされたり、打ち合わせを始めても全く準備をしていなかったりします。まあ、国民性もありますけれど、そういったときにすごく理不尽だというストレスを感じます。でもこちらも慣れてくると、あらかじめ相手のマネージャーに連絡したり、先回りして手を打てるようになります。後は半分諦めておくとかね(笑)
色々な国でお仕事されてきたのですか?
そうですね。やはりアメリカが多いですが、ヨーロッパもよくありましたね。アジアは当時インフラが脆弱だったので、それはそれは大変でしたよ。回線をつないでも、使いものにならないというトラブルはしょっちゅうでしたね。インドでは電気や水道の工事が多くて、同じ場所で2回穴を掘られて2回とも回線を切られてしまったこともありました(笑)。冗談だろと思うことが起きていましたね。今思えば笑い話ですが、当時は大変でしたよ。
どういった形態のお客様が多かったのですか?海外と国内では同じ会社なのですか?
そうですね。日本のお客様が海外に支店がある場合や、その逆もあります。
日本のお客様の期待値には、これくらいはできるだろうという日本の常識ありますよね。海外との仕事においてその期待値に100%応えようとするのですが、まず届かない。期待値に対して、日本のお客様にどこまで妥協してもらえるか、グローバル標準とはいえどこまでサービスを底上げをするか、どの仕事をしていても必ず埋めなければならないギャップです。そのギャップを埋めることが辛いと思うのか、それともこういう色々なことがあるから楽しいと思えるのかによって全然結果も違ってくるのではないかと思います。
それがお客様の社内で吸収できるギャップならまだいいのですが、それがその先のお客様に直接迷惑をかけてしまうこともある。さっき言った「森を見なさい」じゃないですが、B to Bに見えてもB to Cであるということを心において仕事をしていかなければいけないと思っています。
そう思うと、このジェネラルマネージャーから教わったことはとても大きいですね。
そうですね。毎日そういうコーチングがあったわけではありませんし、5ヶ月しかありませんでしたので、仕事を覚えることまではできませんが、言わんとすることは教えてもらったよう思います。
こういう仕事は他の方も経験させてもらえるのですか?
ありますね。ただ、多くの方は正式な補佐という立場で、マネジメントのステップアップの一環として経験するので、私のケースは恵まれていたと思います。
(撮影協力 本多佳子)
#1 B to BでもB to Cだと心に置いて仕事をする
#2 変わることを恐れない。80は受け入れ、20は譲らない。
#3 自分らしさを保つため、こだわりを捨てたい。