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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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「Work hard ,Play hard」 ―山口 仁史さん

【第1話】デザインの世界から畑違いのファイナンスへ
2019年02月07日
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山口さんとの出会いは新卒で入社したP&Gでした。山口さんは隣の営業チーム付きのファイナンスをされており、社歴が近い先輩ということもあり、色々と教えていただきました。転職してから、私が営業に行ったときも快く迎えていただき、朝の勉強会を一緒に開催したこともあります。大変親しみやすく温和なお人柄、それでいて難しいことをいとも簡単にやってのける山口さんの魅力に迫ります。全3回、お楽しみください。

山口仁史

レノボジャパン
執⾏役員 COO 兼 Integrated Operations Lead

山口 仁史さん

HP:https://www.lenovo.com/jp/ja/about

 

2001年にP&G入社。サプライチェーンファイナンス、カテゴリーファイナンス、CBD(カ スタマー・ビジネス・ディベロップメント)ファイナンス、カスタマーチーム・ファイナ ンスマネジャー、流通戦略担当を経験。その後、2011年にモルソン・クアーズ・ジャパン のCFOに就任、バックオフィス全体を管轄。2014年、ハイアール アジア グループに移り、 アジア全体のファイナンスVPや日本のマネージングダイレクターなどを歴任。2018年8月 から現職。

 
山口さんたしか北海道のご出身でいらっしゃいますよね?

よく覚えていますね。地元は札幌ですが生まれたのは、遠軽町というオホーツク海側の町です。父が内科医をしていて、大きな病院に勤めていたので、その病院が持っている道内の診療所を転々としていました。ニッカウヰスキーで有名な余市という町や大麻(おおあさ)など、あまり記憶には残っていませんが幼少期はとても転勤が多かったようです。そして小学校2年生から札幌で育ちました。



お父様は内科医でお母様は専業主婦ですか?ご兄弟は?

はいそうです。3歳下の妹がいます。



では高校までが札幌ですか?

正確に言うと(笑)浪人までが札幌です。

高校時代、勉強を一切していなくて、予備校の春期講習で「英語ってSVOCなんだ!」って知ったのですよ(笑)



今、私も20年ぶりに思い出しました(笑)

そこからのスタートでした。ですから高校三年分の勉強を2年かけて頑張った感じです。



では高校時代は何をしていらしたのですか?

遊んでいましたね。バンドをしていました。



でも大学には行きたいと思っていらしたのですか?

はい。実は、子どもの頃は建築家になりたいと思っていたのです。それは、確か小学校低学年くらいの時に、友達の家の書斎に建築家が使う図面台が置いてあったのを見たのです。



それはその家のお父様が建築士だったのですか?

そうだったと思います。それを一目見て、「超格好いい~!」という思いが強烈に入ったのでしょうね。その素直な思いから、建築家になりたいと思っていました。それから、授業中に暇なときは、勝手に妄想の図面や間取りを描いて遊んでいました。ただ、現実は勉強を全くすることなく、高校を卒業し浪人しました。



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お父様はお医者様ということですが、その道に進もうという思いはなかったのですか?

実は、医学の道もいいなと思ったことがあります。浪人しているときに母方の祖父が、癌で亡くなったのです。その時、父が主治医として最期を看取ったのですが、その時初めて「親父の仕事ってすごいな」を思えたのですよ。それまでは父の仕事が大嫌いだったのです。なぜならば、子どもの頃に遊んでもらった記憶がなかったからです。

これは後に母から言われたのですが、夜ご飯を食べている時や寝る時に自宅の電話が鳴ると、ほとんどが病院からの呼び出しでした。それはほぼ毎日のようにかかっていました。当時2歳か3歳の小さな私がある時、「パパ行かないで」と玄関で通せんぼうしたのです。 今、父親となった私からすると、当時の父の心境は相当複雑だっただろうなと思いますが、幼い私は、父を連れていく医者という仕事が大嫌いでした。それが、祖父の死で、医者ってすごい仕事なのだなと初めて感じたのです。



それはおいくつの時ですか?

18歳ですね。その頃初めて「医学の道もいいな」と思いましたが、時既に遅しで、そこから頑張っても父を超えられないなと思い、その道は選びませんでした。ですがその事がきっかけとなり、いろいろと調べていたら、京都工芸繊維大学という、国立のマニアックな大学があることを知ったのです。元々は蚕由来の研究をしていた学校で、京都の伝統である染め物などを研究する学校だったようです。そこに、生化学の研究をしている分野があるのを知りました。そこは医学部ではないですが、医療に関係するワクチンやたんぱく質などの研究をしていたので、そこを受験し入学しました。

そのたんぱく質やワクチンの研究をされていたのですか?

はいやっていました。白衣を着て。



それは意外です!私は勝手に繊維大学でデザインの勉強をされていたのだと思いました。

京都工芸大学は、実は建築デザインがとても有名な大学で、その建築のデザインを横で見ていると、「やっぱり面白そう」と思い、授業の傍ら、独学でデザインの勉強をしたのです。そして、お店のロゴのデザインや、ファッションショーの演出のデザインなどいろいろなことをさせていただくようになり、その時にこのデザイン業界って面白いなと思いまして、ここで勝負に出ようと大学院への進学を決めました。

なぜ大学院への進学だったのですか?

これは完全にリスクヘッジです。軌道にも乗っていましたし、そのまま起業しても良かったのです。ですが、そうやって上手くいかなかった人たちも見ていましたので、リスクヘッジとして、「学生の身分でありながら勝負できる」というメリットのために、大学院へ進みました。

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大学院ではデザインを研究されたのですか?

大学院は色彩学です。



そんな変更は可能なのですか?

それは、今でも尊敬する恩師の一人である生化学のゼミの教授が、私のことをとてもよく理解してくれ、「あなたはセンスがあるからその道で勝負してみなさい。大学院に行くつもりがあるなら、ゼミを紹介できる」と言ってくれたのです。



それは、大学は生化学系で卒業して、大学院は色彩学で卒業されたということですね。

はいそうです。同じ大学ですが、色彩学で2年間学びました。そこで、デザインの仕事も軌道に乗っていたのですが、あの当時は大企業がとても強くて、今のようにクリエイティブの中小の会社が表に出ることがあまりない時代でした。このまま経営などわからない状態で続けても、大企業に負けるだろうと思い、それぞれが違う道を歩むことになりました。メンバーの中で私が一番得意だったのは企画書を作り、スポンサーをとることでした。ですから、そういうことができる会社を就職先として探しました。



それがP&Gだったのですか?

実はP&Gは学部の時も理系職種で受けていたのです。その時は最終で落ちてしまいましたが、当時から面白そうな会社だなと思っていました。ですから、もう一度今度は文系職種で受けたのです。実は、理系の学部の人は文系職種を受けちゃいけないと思い込んでいたのです。今思うと笑ってしまいますが(笑)

文系職種のいろいろなお話を聞いているうちにファイナンスに興味をもち、ファイナンスに絞って受けて、内定を頂きました。



ではファイナンスは、大学でも大学院でも勉強されていないのですか?

はい、一切勉強していません。ですから最初の新入社員の研修が終わった後、部署の研修があったのですが、その瞬間に「あっ、入るところ間違えたかも!」と思いました。だって全然わからないのですから(笑)



(笑)それは大変でしたね。入社当時はアメリカで研修されましたか?

はい。2か月半~3か月アメリカで研修を受けました。



P&Gに何年いらしたのですか?

10年くらいですね。その後モルソン・クアーズ・ジャパンという会社に4年ほどいました。ここではCFOでマーケティング以外の全部署を見ていました。そこからアクアという会社に入社して、そこで3年働きました。



アクアにもCFOとして入社されたのですか?

正確に言うと、APAC(中国を除いたアジア)のファイナンスのVP(vice president)として入社しました。東南アジアと日本を同時に見ていましたが、当時のCEOに日本を集中的に見てほしいを言われて日本の事業責任者になりました。



そしてその後今のレノボに来られたのですね。

はい、オペレーション本部長で入社して、今はCOO(チーフオペレーティングオフィサー)です。直属の組織はセールスオペレーション、ストラテジーとサプライチェーン周りです。 会社全体の優先順位を考慮して動きますので、私自身がやる仕事はバラエティに富んでいます。必要に応じてマーケティング系の仕事もしますし、元々家電量販店さんにお得意様がいらっしゃいますから、必要に応じてそういうところにお伺いすることもあります。



仕事での失敗談を教えてください。

言えません(笑)



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そこを何とか!(笑)

新入社員の時に顔面蒼白になる経験をしました。そのことをお話します。



楽しみにしています。ありがとうございました。

(撮影協力 本多佳子)