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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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俺よりすごいやつがいるなと思いながら、 下にいるのは嫌なんだよね。―小川 晴也さん

【第1話】はんこを押してリスクを背負う、 それが俺の仕事だね
2017年07月06日

 

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晴也さんとは5年ほど前に、お食事会で出会いました。
親子ほど年齢が違うのに、とても気さくに交流いただいております。
これまで晴也さんの何気ない一言で幾つものビジネスのヒントをいただきました。
創業380年以上の老舗旅館を継ぎ、15代目当主として拡大され、成長し続けるカギを共有したく、このたび、インタビューの機会をいただきました。

全4回でお届けいたします。お楽しみに!

小川晴也

株式会社一の湯 代表取締役 小川 晴也さん

HP:http://www.ichinoyu.co.jp/

-Profile-


株式会社一の湯 代表取締役社長。昭和24年生まれ。昭和39年慶応義塾高等学校、昭和42年慶応義塾大学経済学部卒。高校・大学を通じてゴルフ部に所属。昭和46年日本ユニバック株式会社入社。昭和53年、家業の株式会社一の湯へ。現在に至る。

 

#1 はんこを押してリスクを背負う、 それが俺の仕事だね
#2 「社会的意義」をでっかくする、そのための「生産性」なんだ。
#3 人と体験から学ぶから、人付き合いが一番大事。
#4 「歩く」ことでしか、見えてこないものもある。

大学卒業後、まずは外資系コンピューターメーカーに入られたそうですね。

「外の釜の飯を食ってこい」という家訓の元、日本ユニバックで営業職として7年半働いた。7年目までは1台も売れなかったんだよね。やめる直前に、お情けで3台売れたの。それで、14代目の親父はまだ元気だったけれど、長男の私が15代目ということで、30歳位で家業の一の湯に戻ったんだ。

一の湯に戻られてからは、すぐ経営にタッチされたのですか?

はじめは下働きなど、よろずやみたいなことをしていたね。いつから経営にタッチしたとか明確ではないけれど、当時は本館とキャトルセゾンの2軒だったのを、今は7軒まで増やしたよ。

2軒から7軒ですか。そこまで増やされた秘訣は何でしょう?

一番重要なのは増やそうと思ったことだよね。それ以外はない。爺さんは熱海に支店を1軒もうけたんだけど、太平洋戦争中に手放して、本体を守ったという。で、14代目の親父は2軒目としてホテルを作った。スパンは長いんだけどそれぞれ拡大と縮小をやってるんだよね。

今のお仕事を説明していただくとすると?

代表取締役社長、以上。はんこを押す!それが一番の仕事。責任が生じるから、一番でっかい仕事なんだよね。
はんこを押さないですむってことはまずないから、押していいかどうか。あるいはリスクを背負ったまま押すかという判断をするということだよ。
だから、それが、自分の中のもっともでっかい仕事で、もっとも長引く仕事なわけだ。限られた時間の中でリスクを背負っていくのだから、社長ってのはそういうもんだよね。
はんこを実際押さなくても、リスクを背負うことは多いから。それがわかってないと、社長にならないほうがいいと思う。

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例えば、どういうリスクですか?

大きく分けると、お金に関するリスクと、お金にならない「名誉」だとか。「暖簾」だとかそういうリスクの二つだよね。
実際はんこをつく場合は、お金がかかわるリスクが多いと思うけど、はんこをつかなくても、人間を雇っちゃうというのもリスクだからね。人を雇うだとか何でも約束事をするってことはお金がまつわらなくても、何らかのリスクがある。うまくいけばいいけど、うまくいかなければ、何かを傷つける、何かを失うということで、社長が知っていようが知らない間で起こったことだろうが、責任は社長にある。だから、なかなか他のことする暇ねえんだよ

そうですよね。ほんとに身ぐるみはがされる覚悟でやってる訳ですからね。
15代も続いてらっしゃる一の湯さんの承継についてはどう考えておられるのですか?

承継はなるべくスムーズにやりたい。当然永遠ではないから。誰かが継ぐ。
さっきのハンコの話と関連するんだけど、誰かにリスクを背負わせなきゃいけない。で、背負わせるのは多分一人でないといろいろまずいわね。二人三人だと複数でやることになるから。やっぱりぶれるよね。

お家でずっと継がれてきましたよね。創業家以外の方が継ぐ場合と、それぞれのメリットデメリットとはどうお考えですか?

家の人が継がなきゃいけないっていうのも、ある意味、ちょっとエゴだよね。
でも、かっこよくほかの人に継がせると言っても、実際はそううまくもいかない。
働いている人間も、必ずしも外の人間が継ぐことを望んでいないんだよね。ちゃんとした組織が出来上がりそうだというんだと大丈夫だけど、そうでない場合はあんまり望んでない。なんとなく、その家を継いできているという、何か筋が通ったやつがいたほうが安心だってのがあるみたい。

なるほど。そうやって代々事業を継がれるようなお家に生まれて、晴也さんはどんなお子さんだったんでしょう?家業以外で小さい頃になりたかった職業はありますか?

えーとね、ある意味関西弁でいうと「いちびり」ってやつだね。
「いちびり」ってのは、要するにね、落ち着きがなくてね、調子が良くてね。はしゃいいでてね。年中。そういう感じ。全然変わってないよ(笑)。人生の転機はなかったってことだよね。
小さい頃になりたかった職業もぜんぜん無い!未来と過去を一切見ないから。夢も見ない。
過去は振り返ると絶対損だよね。考え方が消極的になるでしょ。だって、あん時こうしなければよかったと思ってもさ、ありえないんだから。それは。

ずっとはしゃいでる感じですか。そういう60代の方にはなかなかお会いできないですけれど。今のご自分って想像できました?

そんなもんできるわけないじゃん。
でもね、今でもそうなんだけど、「死なない」と思ってるからね。昔も「死なない」と思っていて、あんま変わんないね。いつしか「死ぬ」と思うときはくるんだろうと思うんだけど、その頃にはほとんど死んでんじゃねーかと思うんだよ(笑)。

面白いですね。「死なない」と思ってる。たとえば今の私は「そうそう死なない」と思ってるんですけど、その感覚が続いてるってだけですよね。

そうそうそう。死ぬことは全く想像できない。
いつかは死ぬだろうだけど、それもあんま考えないね。

今のお仕事になってからの失敗といわれると?

いっぱいあるよ。一番ぱっと思うのは、過大な借金をして、そいつがぶっ飛んだこと。昭和60年くらいから始まって平成10年くらいまでかな。まさに失われた10年だね。
金融機関が貸してくれるっていうので、はいはい借りましょう~って、なんか、当時ははやってたのはね、地方のアパートを買うんだよ。どんどん、どんどん、どんどん買うの。そしたらいつの間にか40億円くらいの借金になってた。

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それは投資目的で?

そうそうそう、背景はね、やっぱりね相続対策。で、それにハマちゃったわけね。まあ、銀行も信託もやってたし、評価額があるでしょ。それを平らにするにはこれくらい借金したほうがいいってね。それでも俺ね。全部はやんなかったんだよ。そしてある日突然、まず貸し出し総量規制が始まったんだよ。そのときに、残高が40億円くらいあったわけ。そもそも相続対策で簡単には回収付かないような資金にして、追加の融資をあてにしてるんだよね。それがストップすると、もちろん返済なんか全然できない。
利払いだけでも大変な代物だから、そうするとすぐほんとはデフォルトになっちゃうわけ。銀行もほんと大変だったと思うし、われわれも大変だったよ。

それを返し切ったのですか?

ってかね。200年たつとね。すべてのものは一巡以上するんだよ。サイクルが。
100年だとね、初体験のものが相当あるんだよ。
200年あるとね、2回目の波が来ちゃうからね。その時はみんなわかってるからね。絶対失敗しない。失敗するために、人生100年で終わるんだね。

第一回は、社長の仕事「はんこを押す」ことについてお聞きしました。老舗を継ぐということ、従業員を100名以上抱えるということ、リスクと責任を背負う覚悟を感じ、身が引き締まる思いでした。後継者の方にも、起業する方にも、ハッとするようなお話が伺えました。次回は、「社会的意義を大きくするための生産性」です。

#1 はんこを押してリスクを背負う、 それが俺の仕事だね
#2 「社会的意義」をでっかくする、そのための「生産性」なんだ。
#3 人と体験から学ぶから、人付き合いが一番大事。
#4 「歩く」ことでしか、見えてこないものもある。