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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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信じられるのは自分の軸、そのためのコンディション作りは怠らない。―茂木 里江子さん

【第1話】バブル時代のTVリポーターから38歳で社長に
2018年04月05日
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茂木さんとの出会いは3年ほど前の友人を介したランチ会でした。周囲をパッと明るくするお洋服で現れ、恵比寿のロブションでワインを飲む姿がとてもかっこよかったのを覚えています。
それでいて、気さくで飾らないお人柄に完全に魅了されました。
元気になれるインタビュー。全3回でお届けします。是非お楽しみください。


株式会社アザヤカコンサルティング 代表取締役 茂木 里江子さん

HP:http://www.azayaka.co.jp/

-Profile-


大学卒業後フリーアナウンサーとなり、TBSの中小企業を紹介する番組(スポンサー:中小企業庁)を9年に渡り担当。番組上で企業の経営手法や成功の秘訣を取材するに連れて企業支援に目覚め、2004年、企業経営を支援する株式会社アザヤカコンサルティングを設立。2010年には、グループ会社として税理士法人アザヤカが設立され、お客様と専門家との橋渡し役として資産税についてわかりやすく説明している。著書に「誰でもできる らくらく相続シミュレーション」他

 

#1 バブル時代のTVリポーターから38歳で社長に
#2 嘘はつかない。自分をごまかし始めると自分のセンサーが狂いますから
#3 人に好かれるわがままであれ

茂木さんのご家族のルーツは?ご出身は東京ですか?

私の父は滋賀県出身、いわゆる近江商人です。祖父は私が生まれたときには既に亡くなっていましたが、西武グループを創業した堤康次郎さんの後援会長をしていました。祖父母は堤康次郎さんとは親しくしていたようです。当時滋賀のあの一帯は西武王国だったそうですよ。

堤さんは滋賀の方だったのですね。

そう滋賀県です。私の父は就職で東京へ来て、繊維会社の役員をしておりました。母は、向島育ちのちゃきちゃき江戸っ子で、私は恐らく母方の血をひいてますね。母の実家は下宿屋を営んでいて、そこの下宿人が父だったようです。

すごいご縁ですね。お父様そこに下宿されてよかったですね。
茂木さんの出身校はどちらだったのですか?

中学から大学まで、共立女子です。10年女子校です。文芸学部で劇芸術を学んでいました。
演劇には興味があり、一時劇団にも入っていました。

卒業後は就職されたのですか?

就職はしていないです。バブル時代だったこともありますが、劇団の方からの紹介で仕事がたくさんありました。かっこよく言うと、そのままフリーのアナウンサー、リポーターとして活動していました。

どこかに所属されていたわけではないのですね?

フリーでした。自分でスケジュール管理や体調管理はしなければいけなかったけれど、きた仕事をダイレクトに請けられる。その場で仕事が決まっていく面白さもありました。
始めはアルバイト感覚で「ちょっとこういうのに出てみない?」というのから始めて、学生時代はモーターショーのコンパニオンや、ナレーションをやっていました。そういう経験を続けていくうちに番組をやらせていただけるようになりました。

レギュラー番組を持たれていたということですね。それは何年くらいされていたのですか?

一番長く出演させていただいたのはTBSの「ビジネスズームアップ」という番組でした。30代前半までやらせていただいていたから、その番組への出演自体は8~9年になります。この番組でレギュラーをやらせていただけたからこそ今の私がいます。

その30代前半の時にテレビのお仕事は辞められたのですか?

そうですね。そのレギュラー番組を降りて、起業することにしましたので、リポーターとして活動していたのはその時が最後です。

この時は既にご主人とご結婚されていたのですか?

結婚していました。ただ、お互いの仕事が何なのかもよくわからず、私もロケで地方に行くことが多かったですから、生活はバラバラでした。

その時起業されたのが今のお仕事ですか?

そうです。
コンサルタントです。場所は今の浜松町ではなくて、最初は有楽町のシェアオフィスでした。

コンサルで起業しようと思われたきっかけはなんですか?

最後のレギュラー番組であった、「ビジネスズームアップ」は、中小企業庁がスポンサーで、全国の中小企業をリポートするという番組でした。そこで何百社という中小企業の社長にインタビューをさせいていただきました。その時に何を勘違いしたのか、「日本の中小企業を救うのは私だ!!」くらいのことを思ってしまったのです。それが、コンサルで起業したきっかけですね。


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ではその思いで、すぐに起業されたのですか?

さすがに、経験もなく、一日中いつでも「おはようございます」と挨拶する世界にいましたので、しばらく法律と会計の基礎を学校に行って勉強をしました。それから起業しましたので開業したのは38歳の頃です。

とても勇気がありますね。

何も考えてなかったでしょうね。ただ、勉強しているときがとても新鮮でしたね。
ある時、学校を一度休んでしまったことがあったのですが、今までのお仕事は、私はフリーでやっていたこともあり、這ってでも行くというのが鉄則だったのです。絶対に穴を空けられない。熱が出ていても、収録が終わってから倒れるとかそういう緊張感があったのです。だから一度学校を休んだ時に「どうなってしまうのだろう」とドキドキしたら、何事もなかったかのように世の中が回っていた。そのことにものすごく衝撃と焦りを感じました。私なんて必要ない、私なんていなくても世界は回っちゃうんだなっていうのは、すごく痛感しました。
今このお仕事をしていて「行くの嫌だな」って一瞬思うことがあっても、その時の気持ちが糧になっています。ちょっと嫌だから休もうかなんて、そんなのは贅沢な悩みであり、必要とされないほうに戻るのは一瞬です。必要とされる自分でいようと思っていますし事務所のメンバーにも、選ばれている有難みというのは伝えています。

それは落差があったから気づかれたということですね。

そうです。そうです。ずっと同じだと気付かなかったでしょうね。

今のお仕事について教えてください。

今は、企業の会計管理を中心としたコンサルティングです。
もともとは、企業の上場支援から始まりましたので、今も起業したての会社の成長支援、例えば事業計画を作ったり、資金調達のアドバイスをしたりしています。私は経営者の考え方やメンタルのサポートも含めてしています。おかげさまで大きな企業とも顧問契約を結んでいただいていますので、そういった企業様には事業戦略やストックオプションのプランを考えたり、税務上のアイディア構築、お金に関する相談と支援は多岐にわたります。
上場企業から、オーナー系企業まで顧問契約をしています。あとは数年前から相続のお手伝いも行っています。今は事後の相続税の申告の部分でのお手伝いが多いですが、徐々に相続対策というところも増えてきました。とても興味深いなと思っています。

本も書いていらっしゃいますよね。(『誰でも出来る「らくらく相続」シミュレーション』http://www.azayaka.co.jp/books/
お客様への対応は、茂木さんと担当者がどのように面談されるのですか?

私は要所要所行くという感じですね。少し深堀りが必要なときですとか、あとは少し問題が発生しそうなときはすぐに駆け付けます。なので、普通に流れているときは、担当者に任せています。中にはすべて私が担当しているお客様もいらっしゃいます。お客様のほうもすみ分けがわかってきていて、お電話やメールも私宛にかかってくる場合と、担当者にかかってくる場合とあります。

こういうビジネスモデルで事業をされている皆さんがおっしゃるのは、自分ができることと、担当者ができることがちがうということなのですが、その教育はどのようにされているのですか?

当社は、スタッフのほどんどが公認会計士や税理士ですので、そこの専門分野に関しては私は立ち入りません。知識ではなくて、例えばニーズを探る部分であったり、あるいはクライアントに分かりやすく説明する、そういう部分では私が役立っていると思います。スタッフに対して、お客様が知りたいところはどこか、ここではなくてここを深く調べて代替案を提案するとか、そういう指針ではアドバイスしますが、それ以外は彼らに任せています。
私と同じタイプがいても仕方ないですからね。全く違うタイプがいたほうがいいですね。私なんて時々イケイケゴーゴーで行ってしまうのですが(笑)、そんなときに石橋を叩いて渡る人間がいたほうがありがたいとか、そこがチームでできるいいところかなと思いますね。

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 提携の会計事務所さんとのすみ分けはどうされているのですか?

当社はコンサルと、税理士法人を立ち上げたのでその会社がありますが、お客様が被るということはあまりないんですね。
税務でしたら税務のほうで相談させていただきますし、税務顧問は別にいるのでコンサルだけお願いしたい言う方にはコンサルで、また、プロジェクトによって税務の申告のプロジェクトもします。

そういう意味では税理士法人とくっついているというのは強みでもありますね。

はい、業務の幅も広がりました。

先ほどこの仕事を始めた理由はリポーターとおっしゃっていましたが、その時中小企業の何に問題を感じられたのですか?

経営者って孤独だということですね。相談する人が誰もいない。
番組は長く続いていましたが、バブル後ですので予算が削られていました。構成作家は現地まで行けないので、資料だけ見て台本を書いていました。リポーターの私とディレクターだけが現地に行って、クルーも現地系列局です。そうすると台本に書いてる工場に行ってみたら、工場がない!とか、その製品は作っていないとか色々起こるわけですよ。
でも行ったら撮ってこなければいけないので、毎回前日に前乗りして、経営者と食事しながら打ち合わせをしました。そしてその場でディレクターと構成内容を変えるのです。
明るい番組なので、明るい話をしたいけれど、暗い話ばかりの時もありましたよ。「あそこの梁の痕見て、あれは俺が首を吊った痕だよ」とか。そういう辛い話もお聞きしているうちに個人的に連絡先を交換することもありました。そうしたら、時々電話がかかってくるようになったのですよ。それも番組のことではなく、全然違う悩みだったんですよね。
社長からしてみたら、私は仕事に関わらない外部の人間ですし、秘密も守れますから、相談しやすかったのでしょうね。従業員や取引先には決してできない相談を受けるようになりました。
私に知識はないけれど、「社長、それはこうじゃない?」「それは進んでみるしかないんじゃないですか?」というようなホットラインになったんですよね。そこからです。

それこそ求められて起業されたのですね。

そうかもしれませんね。今もお付き合いしている経営者さんもいますから。

(撮影協力 本多佳子)

#1 バブル時代のTVリポーターから38歳で社長に
#2 嘘はつかない。自分をごまかし始めると自分のセンサーが狂いますから
#3 人に好かれるわがままであれ