人の心と身体の間を見続けたい―穂積桜さん
今回はとても楽しみにしていた世界旅行のお話です。お忙しい職業柄、1年お休みをとって旅に出るという方は多くない中、「休憩する」ことを選択した穂積さんにとても惹かれます。ご主人の海外転勤に奥様として帯同しつつ現地で働き、東京でのお仕事も続けられ、東京と上海を毎月往復する、そんな選択肢があることが素晴らしいし、世の中にも広がって欲しいと思いました。第2回お楽しみください。
日本医師会認定産業医
精神科専門医 漢方専門医 臨床心理士
産業医 穂積 桜さん
2001年 札幌医科大学医学部卒業 札幌医科大学医学部附属病院神経精神科 東京都立松沢病院 久喜すずのき病院において精神科医として研鑽を積む。
国立病院機構東京医療センター、北里東洋医学総合研究所において、内科、東洋医学の知識を幅広く習得 2014年より、精神科、内科の臨床経験に基づく知識のみならず、人事労務、法律の知識を併せ持つプロフェッショナル産業医として稼働 現在16社を担当する。
地中海の遺跡を巡りたいと思ったのです。それは、ある年のお正月、当直をしながら突然思いついたことでした。「あー今年は何かを変えたい!」と思って、何をしようか考えたときに、「そういえば、地中海の遺跡をもっと巡りたい」と浮かんだので、それをテーマに決めました。それに、10年馴染んだ医師という肩書きから離れて生活するとどうなるのかな、という興味もありました。
その後、実際に辞められたのは何月ですか?
正月にそれを決めて、辞めたのは4月です。世界一周航空券を買い、5月に出発しました。
すぐに地中海へ行かれたのですか?
元々ラテン語圏の言葉を聞くのが好きで、過去にスペイン語を勉強したこともありました。地中海の遺跡を巡る際、ラテン語の知識があった方が楽しめるのではないかと思い、まず先にラテン語を学びにアメリカに行きました。
アメリカの大学では学生の夏休みの期間、外部の人を対象にした夏期講習があるのです。6週間1タームでしたので、2タームとりました。
では、まず行かれたのはアメリカだったのですね。その後一度帰国されたのですか?
ラテン語の勉強が終わった8月下旬に、数日だけ一時帰国しました。
長い旅の間、何か失敗談などはありますか?
旅というよりは、アメリカから帰国した数日間で実は私、財布とパスポートを落としました。
出国予定の12時間前でした。
えっ!!?出国できないじゃないですか!
飲みに行ったお店のソファーに落として、後から財布もパスポートも無傷で見つかったのですが、失くしたと気付いた時点ではすでにその日は閉店していたので受け取れず、飛行機は一日延期しました。ですがそんなことよりも困ったのは、お財布に入っていたクレジットカードを全部止めてしまったことです。唯一残ったのは、パスケースの中に入れていたルミネカード1枚でした。それだけを携えてヨーロッパの旅に出てしまったのです(笑)
ルミネカードにはクレジット機能がついていますよね。
クレジットカードなのですが、上限が低かったのです。まあ、出発した時点ではこれでも何とかなるだろうという公算はあったのです。船に乗る前にマルタ島で2ヶ月間ホームステイして、英語をみっちり鍛え上げる計画だったのです。ラテン世界の遺跡を英語で巡るクルーズに参加予定でしたから、そのクルーズを満喫するために、英語でクルーズ仲間と遺跡をを語れるようになりたいと思い、ホームステイを予約しました。代金は支払っていましたので、その間お金はたいして使わないだろうと思っていたのです。ですが、そうすんなりは行きませんでした。
何があったのですか?
ホームステイ先についたら、「Hello~」程度のレベルの人にしか教えたことのないお宅だったのです。事前に奥さんにTOEFLの点数などを伝えてやりとりしていたのですが、それはご主人には伝わっておらず、蓋をあけてみたら、「俺が教えられるのはこれだ」といって、用意されていたのが、「How are you」レベルの内容のものだったのです。イラスト多くない?みたいなテキストを出され、先生と喧嘩をしてホームステイ先を出てしまいました。その後の滞在費は返してくれることになったのですが、そこから「さあ、どこに行こう・・・・。」ですよ(笑)
クレジットカード1枚ですよね。
はい、ルミネカード1枚と、シティバンクのカードで現金を引き出せるだけです。ですが、ヨーロッパのATMって3台に1台くらいは壊れています。しかも、ヨーロッパは意外と色々な通貨があるので大変でした。新しい国に行ったら毎回壊れていないATMを探して、何クローネ引き出して・・・。ということをしていましたから、常にスリルとの戦いでした(笑)
どのくらいそんな生活が続いたのですか?
2ヶ月です。けれどせっかくの2ヶ月間ですから、絶対に日本には帰らないと決めて、ミラノの友人ところに1週間滞在させてもらい、その後の時間をヨーロッパでどう過ごすか計画を立て直しました。飛行機とホテルをインターネットで予約して、日本の実家に届いた新たなカード番号で決済しました。これで何とかなるだろうと思ったのですが、甘い!!!旅の始まりにユーレイルパスという、ヨーロッパ全域の鉄道が乗れるパスを買ったら、その時点でルミネカードの限度額になりもうカードが使えなくなりました。そこでもう、頭が真っ白になりました(笑)
クレジットカードは一度止めると再開できないのですか?
その後再開できるのですが、カード自体が新しくなるのです。新しいカードを海外まで郵送してもらい受け取るのは危険なので、日本の実家に送付してもらったのです。そこから苦難の旅でした。
ノホテルはクレジットカード番号で予約しているので、泊まりたいところに泊まれるのですが、壊れたATMばかりで使える現金がいつ引き出せなくなるかわからない。かと言って女性の一人旅なので大金を引き出して持ち歩くのも怖い。だからホテルで朝食をたくさん食べるのです(笑)
パンとお水など、持ち歩けるものをちょっと朝食会場で調達して、それを昼ご飯に食べて、夕飯はまたホテルで食べて宿泊代とともにクレジットカードに請求してもらうという変わった貧乏旅行をしていました。でも、綺麗な景色が見えるベンチを見つけると、鞄からパンを出して食べる日々は素晴らしかったです。おかげでお金がなくても街歩きだけで十分楽しめることに気づきました。
それは素敵な旅ですね。で、その後目的のクルーズに出られたのですね。
はい、おかげさまで2週間のクルーズを満喫することができました。
勉強して、クルーズして、穂積さんの旅の目的は果たされたのですね。
そうですね。達成し帰国してからは、震災の年でしたから、石巻でボランティアをして過ごしました。
旅がとても面白かったので、後半の2月から3月、2ヶ月かけて、もう一度前半で出会った人を訪ねる旅をしました。クルーズで一緒だった91歳のイギリス人のおじいちゃんに会いに行ったり、ボストンで仲良くしてくれた友達に会いに行き、もう一周しました。
そのご関係は今でも繋がっているのですか?
はい、メールやSNSで今でも繋がっています。
インターネット様々ですね。
お休みされていた1年の間、どこかのタイミングで就職活動はされていたのですか?
はい、8月に一瞬帰国した際に面接を受け、翌年4月からは北里東洋医学総合研究所という新しい職場での勤務となりました。
東洋医学の勉強をずっとしたかったのですが、大学時代に漢方の本を読んでいたら、医学部の友人に変人扱いされまして(笑)。私自身も、医学部卒後にいきなり漢方の道に進んだら、西洋医学のことが全く分からず漢方しか知らないバランスの悪い医者になると考え自分の中で一旦封印しました。
精神科の仕事においては経験を積み、だいぶ仕事を任せてもらえるようになっていたし、そろそろいいだろうと、東洋医学の勉強をもう一度始めました。北里東洋医学総合研究所にいた3年間で漢方専門医の資格を取りました。
専門をいくつも持っているお医者様は多くないですよね?穂積さんは、いくつ持っていらっしゃいますか?
精神科専門医、漢方専門医、臨床心理士、後は労働衛生コンサルタントという国家資格を持っています。この労働衛生コンサルタントの受験は、出産直前だったので、破水に備えてタオルを持参して試験を受けました。
本当ですか?それはすごいですね。
現在のお仕事について教えてください。現在は産業医でいらっしゃいますが、産業医とはどのようなお仕事なのですか?
産業医は一言で言うと、仕事による健康被害を予防することが仕事です。
予防なのですね
はい、ですから産業医は会社において治療はしません。
会社側からすると、産業医がいることで従業員がより健康で、長く働けるような環境を作っていくことができますし、休職復職など制度の整備を行うことで言われのないことで、訴えられたりすることを回避することができます。
産業医になろうと思ったのはなぜですか?
精神科の外来で診ている方たちは、それぞれに色々な背景があり、クリニックに来ます。その色々な背景は5分や10分では十分には把握できません。例えば働いている人であれば、どんな環境で働いていて、どういう仕事をしていて、どういう時間帯で働き、家に帰った後はどういう時間の使い方をしていて、どのくらい睡眠時間をとれているか、その方の家族構成は?など色々とお聞きしたいのですが、それはとても無理です。
この5分10分でやる仕事は私以外の人でもできる、私はもう少し違う切り口で患者さんと向き合って行きたいなと思ったのがきっかけです。そんなとき、ちょうど結婚したことで転機が訪れました。夫の仕事の都合で上海に行くことになり、同じ病院に週5日、6日勤務することが難しくなりました。そのライフスタイルの変化があり、上海と日本を行き来しながら働ける環境を作っていこうと思ったのです。
ご主人の転勤があったから、こういう仕事もありかなと思われたのですか?
バリバリ仕事さえている女性だと、ご主人について行かないという選択もあると思うのですが、そういう選択はなかったのですか?
それはなかったです。
それはなぜですか?
世界一周してから、理想の働き方が変わりました。私自身の働き方改革ですね。海外半分、日本半分で暮らしたいなと思い始めたのです。そのくらいが自分にとってベストバランスなんじゃないかって。主人の転勤でそれが叶えられると思ったのでついて行きました。
海外半分、日本半分というのは、一年の中で半々のイメージですか?
そこにこだわりはなくて、どちらでもいいです。半年、半年でも1ヶ月おきでも。両方を感じながら生活ができればいいなというのがあります。実際、昨年出産するまで日本と上海を毎月往復して、日本の産業医の仕事と、上海の日本人向けクリニックの仕事を両立していました。子どもが生まれてからは、日本中心の生活になっていますが、それでも子どもが3か月の時から、月末月初は上海で過ごすことが多いです。
どういう点で両方感じながら生活したいと思われたのですか?
世界を旅して感じたのは、「日本の働き方にはもっと余裕があってもいいんじゃないかな」ということです。例えば私は仕事を辞めてクルーズに行きましたが、船の上で一緒になった、私と同年代のオーストラリア人は、1ヶ月間の通常の夏休み期間に参加していました。アメリカの友人の職場では金曜日の午後はもう週末だからという理由で家に帰ってしまう人が珍しくないという話を聞きました。イタリアでは郵便局や銀行、駅の切符売り場の窓口担当者は、喉が渇いたり疲れたらすぐに窓口を閉めて休憩に行ってしまいます。上海では、お店のクローズ時間の30分前なのに、早くも電気を消し始めてお客さんを追い出しにかかります。
これらを実際に目で見て経験するうちに、仕事との向き合い方はいろいろあっていいのだと思いました。ですが、日本に帰ってくると日本のきちんとした良さを感じます。ですから私はその半々のいいとこ取りがしたいのです。それがとても心地いいのです。
なるほど。非常に納得しました。
今のお仕事の社会的意義、穂積さんがやる意義を教えてください。
今、働き方改革が盛んに謳われていますね。私は働き方改革には2つの側面があると考えます。一つは経営者がどういう会社にしたいのかという経営の側面。もう一つは働く人それぞれが自分の時間やエネルギーをどう使うか、自分で考えて行動するという個の側面です。人から求められるがままに仕事をするだけではなくて、自分はどういう風に働きたいのかなということをもう少し大事にしてもいいんじゃないかな。それは一年かけてものすごく感じたことです。それを日本に持ち帰れたので、産業医という仕事を通じてそれを伝えたいです。これは色々な経験を経た私だからできることだと思います。
身につまされます。やはり、求められると答えたくなるので、ついつい働き過ぎてしまいますよね。それよりも自分はどうしたいかですね。
(撮影協力 本多佳子)