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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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Made in JAPAN を世界ブランドにしたい―酒井 幸太郎さん

【第1話】「父を超える」という思い。
2020年06月17日
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酒井さんとは5年ほど前、日経ビジネス経営塾1期の同期生として出会いました。見た目通り、優しくて穏やかなお人柄で塾生同期の間でも人気者です。こう見えて人見知りの私を、みんなの輪の中へ入れてくれたのは酒井さんでした。経営者一家でありながら、ご自身も起業されていて、柔らかさの中にしなやかな強い芯を感じます。全3話お楽しみください。

 

酒井幸太郎

株式会社アースモス 代表取締役

酒井 幸太郎さん

 

1979年生まれ
2002年大学卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスに留学。
2006年に帰国後、父の会社に就職。
2008年、どうしても起業したい気持ちをおさえきれず独立。高級車の輸入なども手掛けたが失敗。
高校生の頃から収集していたアナログレコードなどをインターネット上で海外に販売する越境EC事業を立ち上げ、EC業界に参入。しかし為替の影響で軌道に乗れず失敗。アルバイトをしてしのぐ。
2010年、身内の提案ではじめた陶磁器製和食器のネット通販事業が伸び、現在に至る。

 

酒井さん、お生まれはどちらですか?

 

愛知県名古屋市の隣にある尾張旭市です。 高校卒業まで尾張旭にいまして、その後、東京の帝京大学文学部心理学科をでました。

 

どうして心理学科を選ばれたのですか?

 

昔から自分以外の人に、とても興味があったのです。 他者の気持ちを知ることが出来れば、私の人生はより楽しくなるのでは?と思いました。

 

なるほど!勉強してみて、他者の気持ち、知ることができましたか?

 

結論から言うと、学問で言う心理学はそういうものではなかったですね。でも、大学でそれを知ることができました。今も変わらず、「この人はどういう気持ちなのだろう」と、興味を持ち続けています。

 

酒井さんご兄弟は?

 

4歳上の姉と4歳下の弟がいます。

 

真ん中なんですね。お姉様とも弟さんとも少し齢が離れていますが、酒井さんは、ご家族の中でどんな役回りだったのですか?

 

姉には人生の厳しさを教えられ、弟には自分なりに優しくし…(笑)常に間に挟まれていました。 だから上手く世の中をつないでいこう!そういう風になってきたのかも知れないですね。

 

お父様は経営者でいらっしゃいますよね。どのような事業をされていたのですか?

 

父は、食品関係の会社を経営しています。色々とやっていましたが、今は、事業所給食という企業向けの弁当を製造販売しています。


その会社はお父様が立ち上げられたのですか?

 

そうです。創業27年くらいです。

 

27年ということは、酒井さんが中学生の時に創業されたのですね。その前はサラリーマンだったのですか?

 

いえ、うちは曽祖父の代から事業をしていました。戦前は砂糖を販売していました。その後、戦中、戦後と祖父が「何かみんなで出来る事はないかな」と思い、稼業であった砂糖と醤油を使い、佃煮を作り始めたのです。父も学校を卒業した後、家業に入りました。最初は佃煮でしたが、だんだん総菜にも手を伸ばして、スーパーやコンビニに卸すような仕事をしていました。父が40代で、別事業として立ち上げたのがこの弁当事業です。

 

では、酒井家は生粋の経営者一家ですね。

 

そうですね、叔父や叔母も何かしら事業をやっているので、会社員の親族はあまりいないですね。

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酒井さんは大学卒業後、すぐに起業されたのですか?

 

大学卒業後、カリフォルニアのカレッジに留学しました。卒業後インターンビザを取得し、それを使って1年間、個人の資産運用の会社に勤めました。

 

カリフォルニアで1年働いて、その後日本に戻られたのはなぜですか?

 

一つはビザの継続が非常に厳しい状態だったということと、単純に日本が大好きだったからです。海外に行ったことで、日本が好きだと自覚することができたのです。夢もありましたしね。

 

帰国直後はどうされたのですか?

 

帰国後、3年ほど父の会社に勤めていました。

 

お父様の会社で働くというのは、いろいろあるように思いますが、どうでしたか?

 

自分の中では日本という地で伸び伸びと仕事をしたいという理想があったのですけど、現実はそう甘くはなかったですね。父であり上司であり社長でもある実の父から、「あーでもない、こうでもない」という色々な指導を受けて、それを息苦しく感じたのです。

もちろん父は私を育てたいという思いもあったと思うのですがね。当時はそれを受け取ることができませんでした。二代目、三代目の後継者は多かれ少なかれそういった気持ちを抱いていらっしゃると思います。 でも、そこで一歩踏みとどまって、ちゃんと我慢して、将来を見据えて事業継承されていくのでしょうけど、私はそうではなかった。自分で何かやってみたいっていう気持ちが強かったのです。父がそうしてきたように。

起業して、父の会社を抜いてやるって思いました。

 

それが何歳くらいの時ですか?

 

29歳です。

 

29歳で、今の会社を立ち上げたということですね?

 

そうですね。正確には法人化したのはもう少し後ですけど。

 

現在の仕事について教えてもらえますか?

 

主に、陶磁器を中心としたキッチン用品、インテリア雑貨、厨房用品、そういった食や家、インテリアに関わるものを中心とした商品を、インターネットのAmazonや楽天、Yahoo!ショッピングで販売しています。

 

はじめからこの事業だったのですか?

 

いえ、個人売買から始まりました。学生の頃は音楽が好きだったんです。アーティストのレコードやCD、カセットテープなんかをコレクトしていました。でも収集って、上には上がいて、どこかの時点で自分の中でこれ以上やっても終わりがないとい、どこかで見切りがついたのです。収集してきた、たくさんのレコード持っていてもそんなには聴かないんですよね。だから、聴くものだけ残して、後は他の方に譲ろうと思い、それらを売る事業を始めたんです。

当時はヤフーオークションが全盛期だったので、そこで個人売買をやりながら、いずれはECをやりたいと思ってたんですね。

 

結構売れたのですか?

 

やり始めた当初は、思ってたよりも高額で売れましたね。そもそもプレミアがついてるものを集めていたので。

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すごいですね。
でも、持っているものを売るだけだと商品が尽きてしまいますよね?

 

そうなのです。まさに仰る通りです。そうすると仕入れ始めますよね。仕入れると今度はもっと売らないともっと仕入れられないという循環が始まりました。父の会社に勤めながらの副業でしたから、帰宅後毎晩、2~3時間、パソコンを開いてやっていたんです。それがそこそこ上手くいっていたので、フルタイムでやったら、もっと伸びるんじゃないかな?と思い、会社を辞め、起業したのが始まりでした。

ただ、やり始めると、思うように売れない。でも、お客さんを飽きさせないために仕入れもしなければいけない。試行錯誤が始まりました。実は、99%が海外のお客様だったのです。海外の方に日本のアーティストの音楽出版物を販売していました。

という事は何が起こるかというと、為替リスクです。仕入れは日本円、売上げはドルです。
起業した時は1ドル120円か130円だったのが、毎年10円ずつ円高になっていくんですよ。

 

80円くらいまで下がった時期がありましたね。

 

そうなんです。売上は同じだとしても、1割ずつ収益が減っていくわけですよ。それで事業が立ち行かなくなりアルバイトをして生活していました。

ある時、叔父が、「親戚に陶器の問屋をやっているところがある。今、非常に業界自体がどんどん縮小されて経営が厳しいので、ネットで販売するノウハウを持っているのなら陶器を売ってくれないか?」と言われたのです。

 

それは、何歳の時ですか?

 

30歳くらいですね。レコード販売だけをやっていたのは1~2年でした。

 

では、叔父さんの一言で転機がきたわけですね?

 

転機が来ましたね。最初は身内の会社を助けるという思いでやり始めたのです。

 

酒井さんには夢があったということでしたが、どんな夢だったのですか?

 

海外に住んでいた事が影響しているのですが、単刀直入に言うと“海外の方にもっと日本のものを紹介していきたい”ということです。向こうに住んでいて思ったんですけど、海外製品はすぐに壊れるのです。例えば、グラスや電化製品なども、買ってすぐに壊れたり、凄くチープな作りなのです。向こうではそれが普通なのかもしれないですけれど、日本人の私としてはとても違和感でした。日本にはもっと良いものがあるんだけどなって。私は日本人なのでそれを知っていますが、海外の方は日本のいい物を知らないので、それが当たり前だと思っている。これは日本の良い物をもっともっと紹介して、広めていきたいなと思ったのです。


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日本のものを海外に広めたいという想い、共感します。

 

起業して10年になりますが、当初の目標ではそろそろ上場しているつもりだったのですが、現実は甘くは無かったです。

 

甘くない現実、ご商売をされている方は共感されるのではないでしょうか。
第2話はもう少し踏み込んでお話お聞きします。

 

撮影協力 本多佳子