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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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「IT前提経営®」―高柳 寛樹さん

【第2話】中学2年で死にかけた私の決意
2019年01月17日
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中学2年で本気で生きようと決めた訳。普通の中学生では到底経験しないような世界で気づいたこと。
高柳さんの優しくて力強い信念を感じます。第2回、お楽しみください。

高柳寛樹

株式会社ウェブインパクト
取締役ファウンダー

高柳 寛樹さん

HP:https://www.webimpact.co.jp/company

立教大学准教授(特別任用/2019年度~)、 ガーディアン・アドバイザーズ株式会社パートナーなど

 

1976年、東京生まれ。長野県白馬村(指定特別豪雪地帯)在住。 立教大学社会学部社会学科卒業後、同大学院・社会学研究科社会学専攻・博士前期課程修了。(修士・社会学)。大学入学後、はじめてインターネットに出会い、大学院修士課程1年目に株式会社ウェブインパクトの前身である、株式会社ウェブハット・コミュニケーションズを創業。近年は「IT前提経営®(Tech Driven Management)」の提唱者として企業経営への適切なテクノロジーの導入についての講演や助言に力を入れる 2002年から、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科で教鞭をとり2019年度からは准教授(特別任用)。4歳の時にエレクトーンをはじめ、同時に、作曲コンクール作品を書き始めるなど、幼少期より創作活動をはじめる。高校3年の頃から、ゲーム音楽をはじめ、テレビ番組や演劇、アーティストに楽曲を提供したり、クラシック音楽の編曲等も行い、作曲家・編曲家の一面も持つ。日本アーティスト協会正会員。 近著に『まったく新しい働き方の実践~「IT前提経営」による「地方創生」~』(ハーベスト社)

#1 脳みそだけで戦える、ITでの学生起業
#2 中学2年で死にかけた私の決意
#3 迷わないように自分を設計する

 
白馬に移住されたと聞きました。白馬との二重生活について聞かせてください。なぜ白馬だったのですか?

長野県白馬村に移住しました。小さいころからスキーをしていましたから、何度も行ったことがありました。社会人になってからも年間20日くらい白馬には行っていましたので、ご縁がありました。

せっかくのご縁なので、そこに家を建てて将来、白馬村が拠点になればいいなと思ってい ます。



年間1か月くらい居る生活を長く続けていらして、ここ数年かなり行かれるようになったのですか?

かなり行きましたね。一時、北海道のニセコにずっと行っていたのですが、それに飽きてしまい、東京からアクセスできる一番いいスキー場は長野県なので白馬に行くようになりました。頻繁に行くようになったのはここ4、5年です。



4、5年経って移住されたのですね。実際にはどのくらいの割合で行かれているのですか?

年間の半分くらいです。



白馬では何をされているのですか?

冬はスキーですが、基本的に仕事です。電話会議して、普通に仕事しています。



向こうでも仕事をされるなら、別に行かなくてもいいじゃないかとも思うのですがそれでも行かれる理由は何ですか?

私は夜のお付き合いはほぼゼロです。子どもも手が離れてきましたし、東京にいるとずっと部屋にいるのですよ。仕事がパソコン一つで完了しますので、引きこもりです。それもどうかと思うのです。ですから温泉があって、見晴らしがよくて、空気がきれいでというところへ行こうと思ったのです。



では自然環境を求めて移住されたということですね。

はい、雪が降るとスキーができます。私はスキーが好きですし、人がまず少ないです。



人が少ないとおっしゃいましたが、家に引きこもっていたら、あまり関係ないのではないですか?

東京で引きこもっている理由は人が多いからなのです。



なるほど。人が大勢いなければ外に出たいのですね。

そうかもしれません。私は「渋谷で打ち合わせしましょう」と言われたら、全力で場所を変えます(笑)。「もう少し人が居ないところでお願いします」と言います。昔からこの傾向はありますね。



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その割にはいつも人に囲まれていらっしゃるように思うのですが。

そう見えますか?社会人になってから、このままではヤバいなと思いました。モンチッチの髪を大人になっても切っている訳にはいかないじゃないですか。社会に適応しているように見せようと思ったのかもしれません。友人が多いとか、いつも楽しんでいるように見えるとよく言われるのですが、実際は引きこもっていることも多いです。



どの高柳さんが本当なのでしょうか。ちょっと不思議な感覚です。

あまり人に会ったりはしませんが、会うときには全力投球ですよ。その場を思い切り楽しんでいます。ですからそれも本当の姿だと思います。



私は最近、ある人から「ブルドーザータイプだね」と言われたのですが(笑)高柳さんはどういうタイプですか?

そうですよね。重松さんはブルドーザータイプですね(笑)私は、そうだな、どこにも関わらないようにしているはずが、結局関わってしまうのです。昔からあれになりたい、これになりたいという強い思いがあったわけではないのですが、気づけば今の道を歩いています。だから何でもやっちゃうのかもしれません。



何か美学や哲学があるように見えるのですがいかがですか?


美学ですか。どうでしょう。実は中学2年の時に死にそうになった経験があるのです。首の骨を折ったのです。



首の骨??それは大変なことでしたね。なぜ折れてしまったのですか?

水泳部でしたので、飛び込んだ時にプールの底に頭を打ち首の骨を折りました。ICUに入って、「あと数日の命です」というところを何とか乗り越えたけれど、「下半身不随は覚悟してください」と言われていたのです。神様のおかげで、私は今も後遺症もなく生きています。その時、聖路加国際病院の小児病棟に入院していたのですが小児病棟というのは、ご承知の通り、不治の病のお子さんがいっぱい入院しているのです。同年齢の人もたくさんいて、その多くが血液のがんを患っていました。その子達がどんどん亡くなっていくのです。前日トランプをして遊んでいた子が、翌朝亡くなっていくのです。中二の私にはその現実が受け止めきれず、頭がおかしくなりそうでした。私の入院期間は3か月間だったのですが、後半は精神的に不安定になりました。夜中に廊下が騒がしくなると誰かが亡くなっていく。これを目の当たりにして思ったことは、「このまま適当に生きていたらヤバイ」でした。それまでは適当に生きていたのです。何不自由なく生活して、私立の学校へ行き、そのまま大学へも行けるだろうという世界でした。これはちょっとまずいなと思いました。なぜなら小児病棟で仲良くなった子達が次から次へと死んでいくのですから。

当時の価値観では、勉強や部活ですが、悪いことをするときも手を抜きませんでした。高校生の頃は、悪いことも本気でやりましたよ。まかり間違ったら退学になるようなこともありましたが、そこまで本気でした。それはその中学の頃の入院での経験から生まれてきた哲学です。ですから今は仕事も遊びも本気です。それも思い切りやろうと思っています。

先ほどの移住の話もそうですが、別にあえて移住しなくても別荘でもいいのです。そこもあえて移住を選んだのです。移住するなら村長に会いに行こうと思い、村長にもお会いしました。「移住をして私に会いに来たのはあなたが初めてです」と村長に言われました。私の地方税はこの村に入ります。人口8800人の村です。私が板橋区から中央区に引っ越した時、誰も喜んでくれませんでしたが、こちらに移住したら皆が喜んでくれました。そして白馬村で「IT前提経営®」をプレゼンしています。ここではそれが目立つし、とても伝わりやすいです。



中学生という多感な時期に、お友達になった方がどんどん亡くなられるというのはつらい経験ですね。

そうですね。今まで同級生の親友が二人亡くなっています。事故と病気でした。それも私が30歳を過ぎてからの経験でした。それが、中2の3か月の間に何人も亡くなったのです。そして当時から感づいていたのですが、死と直面している子どもたちというのは皆とても大人びていました。何というか、思慮深くて優しくて、いい奴だなと思った人がどんどん亡くなりました。そこに恥じない生き方、本気でやらないといけないと今でも思っています。



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ありがとうございます。仕事での一番の失敗談は何ですか?

忖度ですかね。私は今でこそ綿密なコミュニケーションを取れるようになりましたが、若いころは大人に忖度をしていました。それでそこそこ上手くいくことがあったのですが、社会経験を積んでいくうちに、忖度で得るものは意味がないなと気づいたのです。その反動で、そういったことが嫌いになり、何かいいパイプがあっても使わないようになりました。

周りに、「そのパイプをもう少し使ってはどうだ」と言われますが、「いや、真正面から行こう!」と思っていますから、今も使っていません。



格好いいですね。

商売って格好いいことだけじゃないじゃないですか。ですからそこは正直難しいところです。けれど、それでも真っ直ぐ商売をしたいですから、最初の10年ころまでやっていたことは間違いだったと今は思います。私の生き方にそぐわないことでした。



そう思われたことに何かきっかけがおありだったのですか?

特にありませんよ。長くやっているとどちらが人生において得なのかですね。対極にあるものを両方経験して気づいたのです。

色々やりましたよ。例えば全く仕事をしないときと、思い切り仕事をするときを12か月交互にします。そうすると結果は変わらないのです。がむしゃらに仕事をして、人ともたくさん会って、そういう時と、自宅で「24」のDVDをひたすら見て仕事をしないということをやっていましたが成果は変わりませんでしたね。そうやっていろいろ試してみました。その結果、こそこそ色々とやるよりも大っぴらにやる方が楽でいいということに辿り着きました。



高柳さんの強みを教えてください。学生で起業される方もたくさんいらっしゃいますよね。例えば学生起業家が1000人いるとしてそれが5年続く人は100人になり、そしてそ れが25期目を迎え今も続いている人というのは本当にわずかだと思うのです。それができた理由は何ですか?

それは、「商売」ということが二の次だったからかもしれません。二の次というと語弊がありますが、要は利益をがっぽり出すということを目標に置いていなかったからだと思います。例えばすごい時間と労力を使って上場する尊敬すべき先輩たちがたくさんいらっしゃいますが、私は上場することにおいては理屈がよくわかりません。本来は商売には向いていないのかもしれません(笑)。ですから半分は大学にいるのです。

これが強みになるのかわかりませんが、長く続いているのは、執着していないからではないでしょうか。ですから、25年続いていますが、必要以上に儲かっていません(笑)。続いているのは周りの投資家や、銀行にご協力いただきながら、ご迷惑をかけない規模で、自分の責任でやっているからだと思います。これが200人の組織を作るとなると、私一人の力ではどうにもなりませんから。そうするとリーダーシップとか経営者としての手腕とか試されるのですが、私自身そこには興味がないのです。



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どういったことに興味がおありなのですか?

私は社会学者でもあるので、社会学です。例えば、夫婦別姓はよく話題に上りますがなかなか進みません。野党はやろうと言っても自民党はこれを日本の古き良き伝統だと言う。社会学者としてはいろいろと調べるのですが、古き良き伝統と言っても、明治の後期、大正の入り口あたりにこの家族制度ができたのですよ。それも、徴税のために家父長制を作り税金を集めたのです。数年前にマイナンバーができましたよね、それでもう徴税に関してはクリアしているのです。でも家族制度は変わらない。世の中的には男女平等だとか女性の活躍の場などとうたっていますが、科学をやるのが今はとても面白いのです。一度ゼミ生とやったのは、正月に餅を喉に詰まらせて亡くなる方が全国で何十人もいます。ある時、あるメーカーのこんにゃくゼリーが社会問題になったことを覚えていますか?その時 消費者庁がメーカーにゼリーを砕くよう改善命令を出したのです。でも砕くと食感が変わるのです。私はあの商品が好きでしたので、その時とても残念に思いました。それでゼミ生と徹底的に調べてみようということになりました。食べ物が喉に詰まって窒息するということに対する対処であるならば、餅メーカーはなぜ砕かなくていいのでしょうか、毎年何人か亡くなることが分かっているのに、ここには消費者庁は何も言わない。最終的に消費者庁はペーパーで「それは合理的な理由がありませんでした」とう回答でした。科学に対して、政治、経済、社会は圧倒的に劣後しているのです。



すみません、そこのどの部分が科学なのですか?


科学とは事実です。統計も科学です。統計も調べました。そこに世論も関係してきます。世論が大きくなると、役所は迎合します。私は社会科学ですから、本当はどうなのだということを調べるのが好きなのです。



事実を追求するのが好きということですね。

はい、アドバイザリーサービスも同じです。事実を追求して提示します。例えば、今はクラウドの時代です。ある金融会社がシステムベンダーに依頼して共有フォルダを1億円かけて作るというのです。そこにそんなにお金をかけなくても、無料のものもありますよと提示しても納得いただけない。そうすると、1億円のものと、無料のものを徹底的に調べます。両方のサービスレベルをぺーパーで出して、それを比べます。そうすると圧倒的に無料の方が良かったのです。それを社長にアドバイザーとして提示すると、私としては商売にならなかったりするのですが、私はそちらを選んでしまいます。これは先ほどからお話している私が商売に向かない理由のひとつです。ダイレクトなコミュニケーションしかできません。これは、幼い頃、モンチッチの頭を廊下の片隅で切っていた自分と重なります。



どんな時も誰かに迎合せず、自分らしくあり続ける高柳さんのお姿にみんな魅了されてい るのだと思いました。ありがとうございました。

(撮影協力 本多佳子)

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