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「IT前提経営®」―高柳 寛樹さん

【第1話】脳みそだけで戦える、ITでの学生起業
2019年01月10日
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高柳さんとの出会いは、仲良くしていただいているお客様が「ぜひ紹介したい人がいる!」と会食をセッティングしてくれたのがきっかけです。とてもフレンドリーなお人柄で、経営者としてのお話、大学の先生としてのお話、その両方がとても面白く、引き込まれました。スキーヤーでもあり、ピアニストでもある、こんなにも同時にいろいろなことができる器用さはどこからくるのか、その秘密に迫ります。全3回お楽しみください。

高柳寛樹

株式会社ウェブインパクト
取締役ファウンダー

高柳 寛樹さん

HP:https://www.webimpact.co.jp/company

立教大学准教授(特別任用/2019年度~)、 ガーディアン・アドバイザーズ株式会社パートナーなど

 

1976年、東京生まれ。長野県白馬村(指定特別豪雪地帯)在住。 立教大学社会学部社会学科卒業後、同大学院・社会学研究科社会学専攻・博士前期課程修了。(修士・社会学)。大学入学後、はじめてインターネットに出会い、大学院修士課程1年目に株式会社ウェブインパクトの前身である、株式会社ウェブハット・コミュニケーションズを創業。近年は「IT前提経営®(Tech Driven Management)」の提唱者として企業経営への適切なテクノロジーの導入についての講演や助言に力を入れる 2002年から、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科で教鞭をとり2019年度からは准教授(特別任用)。4歳の時にエレクトーンをはじめ、同時に、作曲コンクール作品を書き始めるなど、幼少期より創作活動をはじめる。高校3年の頃から、ゲーム音楽をはじめ、テレビ番組や演劇、アーティストに楽曲を提供したり、クラシック音楽の編曲等も行い、作曲家・編曲家の一面も持つ。日本アーティスト協会正会員。 近著に『まったく新しい働き方の実践~「IT前提経営」による「地方創生」~』(ハーベスト社)

#1 脳みそだけで戦える、ITでの学生起業
#2 中学2年で死にかけた私の決意
#3 迷わないように自分を設計する

 
人生のサマリーを教えてください。

出身は東京都の板橋区赤塚というところです。そこで生まれ育ちました。当時の赤塚は、とても自然豊かで、朝ふと庭を見るとアオダイショウが横切っていたり、タヌキも当時よく見ました。そこで両親と3歳年下の弟と祖父母の家族6人で暮らしていました。

親御さんはどのようなお仕事をされていたのですか?

父は経営者でした。いろいろな事業をやってきましたが、当時は板橋区高島平というところでスイミングスクールを経営していました。高島平には高島平団地というのがあり、子どもが非常に多かったのです。そこでスイミングスクールをやれば、生徒が集まるのではないかという思いからやっていたようです。

それがメインの事業ですか?

はい、メインの事業です。それが当たり、一番多い時は数千名ほど生徒がいたと思います。

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それはすごい人数ですね。
スイミングスクールとはプールを自分の不動産として持って経営するということですか?

そうです。ですから大変な投資ですね。今のソフトウェアなどの会社から考えると、莫大な投資だったと思います。多額の借金をして経営していました。

でもその事業は的中されたわけですよね。

そうです。けれど子どもの人数は、ある時期から下降をしはじめ、たしか、90年代の初めにその事業を辞めたと思います。今でしたら未上場会社の株式にも流動性がありますから、いい時に売ってしまうとか対策ができますが、そもそも時代的に中小企業にそういう発想がなかったのと、父の哲学もあったかと思います。こんなことをいろいろとやっていましたね。

では、スイミングスクールはこうなったけれど、次は別の事業をされていたのですね。

はい、私が知っているだけで5つくらいの事業をしていましたね。多くは失敗していたと思います(笑)

今も経営者でいらっしゃるのですか?

今はもう事実上リタイアしてゴルフばかりやっています。

どちらかというと博打を打つタイプなのですか?

そうです。もう博打です。

お父様の血を引いているなと感じられることはありますか?

全くないです(笑)

反対に高柳さんご自身はどういう性格でいらっしゃいますか?

わたしは内向的でした。小学生までは学校の先生に「いるかいないかわからない」と言われていたようです。特に友達とも交流しない、大人しい性格でした。

そうなのですか。今と全く違う印象なのですが、、、、。

今も実はそうなのです。皆さんの前では普通に社交的にできますが、できることなら引きこもりたいです。外に出たくない(笑)。

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立教に小学校から通われていましたよね。受験されたのですね。

覚えていませんが、そうです。弟も同じ小学校でした。そのまま中学高校大学、大学院へと進んで今は立教大学で教えています。ですから、立教には34、5年通っています。

それはすごいですね。いつ起業されたのですか?

大学2年の頃に今のウェブインパクトの前身となる会社を立ち上げました。インターネット上でソフトウェアを開発してそれを使っていただくという事業を1997年から続けています。社名は変わっていますが、期としては25期目です。

25期、それはすごいですね。
高柳さんご結婚は?

29歳の時にしています。小学生の息子が一人います。子どもとの時間は取るようにしています。

現在のお仕事について教えていただけますか?

現在はこの会社を経営しています。この会社とは別に3つの会社の代表やオーナーをしています。後は立教大学で准教授をしています。

お仕事の割合的にはどういったイメージですか?

特に割合というのはないです。エネルギー的には、この会社には一番多くのエネルギーを使っています。なぜならば、関わる人がたくさん居ますので、その分いろいろなことが起こります。大学の場合は授業がありますから、ある程度の時間は取っていますし、たくさんの学生の人生がかかっていますので、ここに使うエネルギーも大きいです。適当に採点するわけにはいきませんから。

今のお仕事を始められたのはなぜですか?

理由は簡単です。大学院に行こうと思ったからです。大学院に行きたいことを両親に伝えると「そんなところに行ってもしょうがない。これ以上学費は出しません」と言われたのです。私立ですから、それなりにお金を稼がないと大学院へは行けません。そこから起業しようと思ったのです。お金がないと世の中、サービスを受けられないらしいということは理解していました。

それが起業のきっかけだったのですね。なぜITに目をつけられたのですか?

それは父が反面教師になっていました。父は借金して事業をするというフルリスクの商売をしていました。ソフトウェアというのは基本、パソコンと人がいればできる仕事です。脳みそだけで戦えますから。場所もいりません。それがいいと思ったことと、我々の世代は、1995年に大学に入学していますので、ITバブル世代に近いのです。世の中の情報がITだとかインターネットだとか言っていたので、それがいいのではないかなと思ったことがきっかけです。

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目を付けられるのが早いですよね。

そんなことないですよ。堀江さんの一世代後ですから。彼らの方が5年ほど早いです。

今、この仕事をやる意義は何ですか?

IT前提経営®」です。今は、世の中が完全にこのITの世界になってきています。日本の場合は、企業の経営者が上場企業も含めて、お年を召してご経験がある方が多いです。それはそれでいいことなのですが、多くの方がなぜかテクノロジーに興味がないのです。それどころかあまり好きではない。ですが、消費者からは「なぜお宅の会社はアプリがないのですか?なぜIT化していないのですか?なぜwebから予約ができないのですか?」ということが起こっています。銀行一つ取ってもそうです。それはなぜそうなるのかと言えば、経営者が理解していないのです。これがだんだんクリティカルになってきて、今IT投資をしないと潰れてしまいますよというタイミングになってきています。我々の使命は、「経営において、なぜテクノロジーが重要なのか」ということをしっかりとお伝えすることです。
ここは営業が話すのではなく、私が自らお話します。そこを理解していただいたうえで、「やってみようか」という企業に弊社が手を貸すということを地道にやっています。

では、御社のクライアントさんというのは、IT化を進める企業ということですか?

それがほとんどですね。弊社のお客様はすべて法人です。弊社はエンジニアが40名ほどいますから、IT化の何から何まで対応しています。
例えば物を売ってる会社が「ECにはちょっと抵抗がある」と言っているとしたら、「そんなことはないですよ。ECをやるメリットはこれとこれとこれと、投資対効果はこうです」とご説明して、お引き受けします。先方も売り上げの効果を得ることができると、「1店舗都心に店を構えるよりも売り上げが上がる」という実体験を経て、「これがIT化なのです」と経営者に納得してもらう。そうして次のIT化へと進んでいくのです。どれほど優秀な経営者であっても、ITの世界は未経験でわからない。でも、そういった成功体験を積むことで、考えが変わってきます。例えば新聞広告を折り込んでいる企業がありました。その会社に「月50万円をITに使ってみませんか」と提案をします。そしてSNSの広告を打ち出してみると、折込広告よりも効果があるということがあります。そういう体験をしてもらって、ITの効果と必要性を知ってもらうのです。これって、中小の零細企業のおじいちゃん経営者のイメージですが、そうではなくて、一部上場企業の60代の経営者も同じような感じです。けれど、その60代の経営者も、「家に帰ればご家族とLINEをやっていますよね。娘さんや息子さんとは今やそれが連絡手段なのではないですか?その世代が、これからの主たる消費者になる訳ですから、御社もIT化していかないとお客様が離れてしまいますよ」という話をします。
個人タクシーがどんどん厳しくなっているのはIT化が遅れているからです。これが今現在の仕事です。

どんなお子さんでしたか?どう育てられましたか?

先ほど申し上げた通り、暗かったです。そして少し冷めたところがありました。例えば幼稚園の時に、大人が「将来何になりたい?」と聞いてくるのですよ。そんなの分からないじゃない?それを何度も聞いてくるので、うるさいなーと思って、私は全然なりたくなかったのですが、「パイロット」って答えようと思ったのですよ。パイロットって答えたら大人がいい顔するのです。だからパイロットと答えていたのを覚えています。お誕生日に何か買ってあげるよと言われても、あまり興味がない、おもちゃ屋さんに行っても喜ばないという少し冷めた子どもでした。

変わっていますね(笑)何がお好きだったのですか?

あ~あの頃ね、サルのお人形、なんて名前だったかな・・・。モンチッチだ!モンチッチの人形がいっぱいあったのですよ。そのモンチッチの髪の毛を廊下の片隅で切って、短髪に整えるということをやっていました。6頭全部(笑)一人でずっと3日くらいかけてやっていましたね。


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(笑)へえー。それは何が楽しかったのですか?

いや~。何が楽しかったと言うよりは、人と関わりたくなかったのだと思います。

ひたすら自分の世界に没頭するお子さんだったということでしょうか。
どう育てられましたか?

大事に育ててもらったと思います。まあ、父はフルリスクの人ですから死ななきゃいい、何でも好きなことをやれという感じで育てられてました。

習い事はされていましたか?

ピアノとスイミングです。

水泳もお得意ですよね。

高校までずっと水泳部で、最後の成績が国体予選敗退(笑)でした。

ピアノもプロの腕前ですよね。

はい、作曲ではプロとしてお金を頂いています。

すごい!
ジャンルは何ですか?

ポップスです。クラシックではないです。曲を作ったり、今年は久しぶりにCDも発売しますよ。

本当に多才でいらっしゃいますね。

(撮影協力 本多佳子)

#1 脳みそだけで戦える、ITでの学生起業
#2 中学2年で死にかけた私の決意
#3 迷わないように自分を設計する