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CONCEPT -Think&Talk-|学び続け、進化し続けるビジネスマンに向けて、さまざまな業界のトップリーダー たちと仕事観を語らう。

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必然、必要、ベストを尽くして生きていく―尾崎 志津子さん

【第1話】心からやりたいと思うことを目標にする
2018年07月19日
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尾崎さんとの出会いは、6年ほど前の講演会でした。スピーカーをしてくださった尾崎さんにご挨拶した時、思い切って個別でお話をお聞きしたいとお願いしたことがきっかけです。
いつお会いしても、笑顔が太陽のように輝いていて、元気をもらえるのは何故だろう。さらに、毎年とんでもない実績を挙げ続けていらっしゃる秘訣は何だろう。どうやって尾崎さんという人間が作り上げられたのか。その魅力に迫ります。
全3回お楽しみください。

岡学

ジブラルタ生命保険株式会社
エグゼクティブ ライフプラン コンサルタント

尾崎 志津子さん

-Profile-


音楽大学を卒業後、新卒で保険会社に飛び込む。「自分にできる最大限」をやり続けることで見つけた自分らしい営業スタイルを確立し、3年目で保険業界のトップセールスが集うMDRT※に入会。お客さまと自然に打ち解けてしまう話し方や、「お客さまが困った時や辛い時こそお役に立てるのが保険の仕事」という真摯な姿勢が支持され、旧AIGスター生命では3年連続全国1位に(現在はジブラルタ生命と合併)。「少しでもお客さまのお役に立てること」を一番の信念にして18年間、多くのお客さまから支持を得つづけている(月平均20件の成約、約2,500件の契約件数を保持)。

・旧AIGスター生命にて、4度の全国1位を達成
・ジブラルタ生命にて、4度の全国2位を達成中

※MDRTとは、1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は世界69の国と地域の500社以上で活躍する、62,000名以上(2017年7月現在)の会員を有する、卓越した生命保険と金融サービスの専門家による国際的かつ独立した組織です。MDRT会員は卓越した商品知識をもち、厳しい倫理基準を満たし、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険と金融サービスの最高水準として世界中で認知されています。

・2002年~2018年まで、成績資格会員を継続中
・2006,2008,2012,2013,2015年度、COTを計5回達成(MDRT入会基準の3倍)
・2014,2016,2017,2018年度、TOTを計4回達成(MDRT入会基準の6倍)
・2018年度MDRT日本会 広報委員長

 

#1 心からやりたいと思うことを目標にする
#2 今いるところでこれ以上出来ないくらい頑張ることで、開けた道
#3 人はいつからでも、どこにいても、どこからでも努力をすれば夢はかなう

ご出身、ご家族構成を教えていただけますか?

新潟県の人口10万人くらいの都市に生まれました。両親と妹弟の5人家族です。

中学生、高校生の頃は何かクラブ活動はされていたのですか?

中学は陸上部です。100mと幅跳びの選手でした。小さい頃から運動は得意でした。
高校では剣道部に入り、新潟県の県大会個人部門で優勝しました。

剣道は高校から始められたのですか。それで優勝とは本当にすごいですね。

部活で真剣に始めたのは高校からです。後から本格的に始めた分、誰よりも日々の練習に励んでいましたが、何より私は「本番の空気」に強かったようです。ここ一番の試合になればなるほど、集中力が研ぎ澄まされていくタイプでした(笑)。けれど自分の実力はここまでだと分かっていたので、県大会が終わると引退しました。剣道で大学に行くのは何かが違う…という感覚があり、「剣道ではない、自分にしかできないこと、やりたいことは何だろう?」と考えました。そのとき、音楽の先生が「あなたには才能があるから、国立(くにたち)音大を目指してみない?」と声をかけてくれました。「これだ!」と思い、そこから音大への受験勉強を始めました。といってもその時点で高校3年の9月でしたので、翌年2月までの6ヶ月間、一日10時間ピアノを弾き、東京まで歌とピアノのレッスンにも行く、という猛勉強の末、奇跡的に合格したのです。自分でも驚くほどの集中力で、本当に「よく合格することができたな」と思っています。

剣道から音楽の道!それは本当にすごいことですよね。何科にご入学されたのですか?

リトミック科です。当時リトミック科は、日本で国立音大にしかありませんでした。

リトミック科ではどんなことを学ぶのですか?

ピアノでの即興や作曲、声楽、幼児教育におけるリトミック理論を学び、ミュージカル部にも所属していました。恥ずかしいのであまりお話していませんが、そういう音楽づくしの4年間を過ごしました。もう、ついていくのに必死でしたので、毎日毎日ものすごく勉強していました。

大学4年間はずっと音楽のことをされていたのですか?

はい。勉強三昧です。周囲には生まれた時から音楽をやっているようなハイレベルな学生がたくさんいました。一方の私は、自分がそれほどまでには得意じゃない、というところに身を置くのが初めての経験でしたから必死でした。できないところに居るというのはとても苦しかったです。でも負けず嫌いでしたので、「やれることはやろう」と常に勉強していました。ピアノや声楽の練習も授業も、ついていくのがやっとでしたので、サークルやアルバイト三昧のいわゆる「花のキャンパスライフ」とは無縁の、真面目な学生生活でした。

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なぜそんなに頑張れたのですか?

大学時代、周りがみんなそうだったのです。それが普通でした。頑張る人が大多数のところに居ましたから、大学は勉強するところだと思っていました。社会人になって、そういう学生ばかりではないと知るのですが…(笑)

音楽関係ではない普通の企業に就職されたのですか?

はい、音大に入学して2日目で、「これを仕事にするのは絶対に無理だ…」と思ったのです。

2日目ですか?それはかなり早いですね。

もう見た瞬間にわかりました。学生が千人いたとしたら、私よりも下手な人は一人もいない…と感じてしまったのです。ですから普通に就職しようと決めていました。マスコミに興味があったのでキー局の制作部門を全て受けたのですが、最終で落ちてしまいました。制作会社には7社受かったのですが、就職活動を重ねて行く中で他の一般企業にも興味が湧き、結果、すべて辞退して千代田生命への入社を選びました。

なぜ千代田生命だったのですか?

人です。人柄の良さに感動して選びました。生意気かもしれませんが、当時の私は、「その会社がすでに全国で一番かどうか」という基準ではなく、「一緒に働く仲間が良ければ、みんなでその会社を一番にすることができる」と思っていました。私にとって大事なことは、その“会社”が世の中においてどうであるかではなく、これから一緒に働く“人”がどうであるかでした。

「いい人」というのは何を基準にしていい人なのですか?

千代田生命の方々は、とても謙虚でした。面接官や部長など、役職がついた方々もみなさん謙虚でした。「あなたみたいな人が会社に入ってくれたら、とても嬉しいです!」と言ってくださったのです。謙虚で人柄も良くて、しかも営業総合職。それが決め手でした。実は、生命保険の営業職がどのようなものか、良くは分かっていませんでしたが…(笑)。

入社してから、営業でどういう仕事をするのか知ったのですか?

そうです(笑)。

破綻したのは入社して何年目ですか?

入社して1年半後です。

破綻したとき、なぜこの会社に残られたのですか?

そうですね、同期のほとんどの人が辞めて他社や違う業種に行く道を選んでいましたし、私自身も他社からの引抜きを受けました。破綻してお客様にご迷惑をかけたので、「もう破綻しないような別の業種に行きたい」という思いもありました。ですが、残る道を選びました。それは、こんな状況下であっても自らの責任を全うしようと、毎夜遅くまでお客様へ電話をかけ続けている諸先輩方や、もう一度やり直そうと懸命に目の前の仕事に励む仲間の姿を見て、「私も大切なお客様のために最後まで残ろう」と決めたからです。そして、そんな人たちと一緒に働きたかったのです。

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AIGスター生命でチャンピオンになられていますよね。

はい、AIGスター生命5年目でチャンピオンになりました。29歳のときでした。

何名くらいいらっしゃるのですか?そこからずっとチャンピオンですか?

5,000人です。そこから3年連続で、4年目は落としましたが、5年目もチャンピオンになりました。それまではずっと2位でした。

破たんされた後、どうなったのですか?

AIGスター生命とエジソン生命は、ジブラルタ生命に吸収合併されました。

そこでジブラルタ生命になられたのですね。

ジブラルタ生命ではずっと23番です。なかなか1番になれない(笑)

1番になりたいですか?

吸収合併でしたから、「AIGスター生命がやってきたこと、私が学んできたことは、間違っていなかった」と証明したい気持ちがありました。最初はそういう思いで1番を目指していたのですが、ジブラルタ生命の仲間と共に過ごし、ジブラルタ生命の一員としての想いがどんどん強くなってきたことで、「前の会社のために1番を取らなければ」という概念は無くなりました。今は、新たな目標とともに、いつか1番になりたいと思っています。

ここ数年、MDRTのTOTという常に高い業績をずっと維持されているのはどういった秘訣があるのですか?

私は「目標設定」が高いと思います。人は目標を決めて、そこに向かって生きます。ですから、目標を低く定める人はそれなりの結果となる。すごく志が高いのに、ずっと低迷しているという人はあまり見たことがありません。「本当の目標」をどこに置いているかだと思います。

「本当の」目標とおっしゃいましたが、「本当の」とつける意味は何ですか?

「心からやりたいと思うこと」を目標にしているかどうかです。口ではそう言うけれど、「喉から手が出るほどやりたい」とは思えていない人が、実は多いのではないでしょうか…?人は、本音ではやりたくないことや、「人に言われたから」だけでは、なかなか頑張り続けられません。一方、「本当の目標」であれば、考えるだけでワクワクします。何が何でも達成したいなら、そこへ向かう努力は単なる苦痛や苦労にならないと思っています。

「喉から手が出るほど欲しい目標」かどうか、どうやって判断するのですか?

それを達成したとき、自分の心に起こる現象を想像してワクワクするかどうかです。自分にしかできないことを全うして、人に喜んでもらうことができて、自分自身もすごく幸せを感じて…。そういった目標達成に伴う全てが、自分の“人生で最も大切にしていること”に繋がると思うと、私はワクワクします。

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とはいえ、そういう目標を決められない人が多いのも事実です。

確かに、「これができたら本当に幸せだ」という明確なゴールを、自分で見つけられる人はあまりいません。なぜかというと、人は、今の自分が出来ると思う“見える範囲”でしかゴールを定めないからです。例えば、ご飯を作るとして、「普段から作っている味の感覚」と「出せるお金と食材」の中で、どこをどう頑張っても、いきなり食べたこともない高級料亭の味を出すことは、残念ながらできません。ですが、もし高級料亭の味を“想像すること”ができたら、ほんの少しでも“垣間見たり、触れたりすること”ができたら、自分の能力や道に“新たな可能性”が広がります。これは普段の日常生活を続けているだけでは、絶対にできないことだと思います。だからこそ、まずは日常を超えるための突破口として、今までやったことがないことにトライしたり、いろんな所へ行き志の高い人の話を聴いたり、あらゆる分野の本を読んで一流の文化に触れてみるなど、「未知に挑戦し、学び続けること」で、自分の可能性を広げる“意識”が大切なのではないでしょうか。何もせずにある日突然、「料亭の味が分かった!」と言う人はなかなかいませんから(笑)。

(撮影協力 本多佳子) 

 

#1 心からやりたいと思うことを目標にする
#2 今いるところでこれ以上出来ないくらい頑張ることで、開けた道
#3 人はいつからでも、どこにいても、どこからでも努力をすれば夢はかなう